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30 信濃国 「下諏訪」

「三拾 木曽海道六拾九次之内 下諏訪」 (一粒斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido30 和田峠を越えて、西餅屋、樋橋(とよはし)、落合を過ぎ、下諏訪神社春宮の手前を左に折れ坂を下ると下諏訪宿に至ります。下諏訪神社秋宮は宿中にあります。『木曽路名所図会』(巻之4)は、下諏訪宿について、「和田へ山路五里八町。諏方の駅一千軒許(ばかり)もあり。商人(あきびと)多し。旅舎(りよしや)に出女あり。夏蚊なし。少あれどもささず。雪深して寒烈し」、「名にしおふ下の諏方は、此街道の駅にして、旅舎(はたごや)多く、紅おしろいにふたるうかれ女たちつどひ、とまらんせとまらんせと袖ひき袂(たもと)をとりて、旅行の人の足をとゞむ。町の中に温泉ありて、此宿(やど)の女あないして、浴屋の口をひらき、浴(ゆあみ)させける。其外よろづの商人多く、駅中の都会也」と記します。同名所図会に紹介される名所項目を拾ってみると、「諏方春宮」、「諏方秋宮」、「須波乃湖(すはのうみ)」、「高嶋城」、「衣裳崎(ころもがさき)」、「諏訪温泉」、「冨士山眺望」、「天龍川水源」、「御射山(みさやま)」、そして「上諏方神社」など多数あることが判ります。また、これらに関する図版も数多く掲載されています。その中から、広重は、中山道中唯一天然温泉が湧く宿場の旅籠屋を画題として選んでいます。後掲『岐蘓路安見絵図』(下諏訪)も、第一に、「温泉あり。旅人も入湯す」と注意書きを付しています。

 前掲名所図会には、諏訪温泉は、「下諏方駅中に三所あり。旅人(りよじん)及び駅中の人みな平生(へいぜい)入浴す。本陣の際にあるは中を隔て、高貴あるひは男女を別つ。往来の雑人は上に覆ひなし。衣類の洗ひ物を此流にてする也」とあります。ところが、広重作品は、沸かした内風呂(湯)のある旅籠の様子を描いていて、温泉(外湯)の醍醐味を全く表現してはいません。構想図の限界でしょうか。同名所図会「須波乃湖」には、「鯉鮒亀甲あり」と記されていて、旅籠の夕餉などの食材になったことでしょう。当作品は、掛けられた手拭いから判断して、風呂上がりに、6人の男達が下女の給仕によって食事する情景が中心です。当作品の斎号が、「一斎」になっているのも、この飯(米)食う情景に掛けた洒落と解することができます。とすれば、一番手前の紋付を着て背を向けている男を広重自身であるとする見解も、あながち根拠のないものではないかもしれません。なお、食事風景の背後の襖には、版元錦樹堂の意匠が描かれています。


*注1:信濃国一宮・上下諏訪大社
 『岐蘓路安見絵図』(和田)の注意書きには(前回ブログ注2参照)、「下の諏訪大明神、社領五百石。正月朔日に春の宮へうつし奉る。七月朔日秋の宮へうつし奉る。元日に祭礼なし。七月朔日祭礼あり。上のすはへ一り半。上のすは、年中に七十五度神事有。取わけ三月酉の日大神事なり。鹿の頭七十五備ふ。社領千石。上下の社ともに、七年に一度御柱とて大祭あり。四月申寅の日也」とあります。同趣旨の記述が前掲名所図会にもあって、これらは、中山道の旅の重要な目的の1つに、諏訪大社への参詣という信仰の旅があることを物語っています。もちろん、物見遊山も兼ねていますが…。
 諏訪大社は、上社と下社に分かれ、上社には本宮と前宮、下社には春宮と秋宮とがあります。上社の神は建御名方神、大祝(おおはふり)は神(みわ)(諏訪)氏、神長官は守矢氏、下社の神は女神の八坂刀売神、大祝は金刺氏です。諏訪湖結氷後に氷に亀裂を生む御神渡りでは、上社の男神が下社の女神を訪ねるものとされています。高嶋藩3万2千石の藩主はこの諏訪氏の後裔、また、かつて善光寺境内にあった諏訪神社斎藤社家は金刺氏出身と伝わっています。なお、神長官守矢氏が担ってきた洩矢神(ミシャグジ)が古来諏訪を統べる神であったと解されています。


*注2:『岐蘓路安見絵図』(下諏訪)
 「せんげんのとり井富士と向ひ合」(左頁)という注意書きがあって、諏訪湖の下側に富士の姿(右頁)が描かれています。浅間神社の下側に「峠」とあるのが、塩尻峠に当たります。

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