28 信濃国 「長久保」
「二十八 木曽海道六拾九次之内 長久保」 (一立斎)廣重画 錦樹堂 『宿村大概帳』によれば、長久保は、本陣1、脇本陣1、旅籠屋43とあって、かなりの賑わいがある宿場です。これは、東に笠取峠、西に和田峠が控えていることが主たる理由ですが、あわせて、北に善光寺道と繋がっている地理も勘案する必要があります。たとえば、笠取峠は佐久と小県(ちいさがた)の境となっていて、長久保が小県の真田ゆかりの土地となっていることもその地理と係わっています。芦田と同様、長久保も「更級」や「姨捨山」のイメージと繋がるということです。
当作品が想定するのは、川に橋の架かる場所です。後掲『岐蘓路安見絵図』(長窪)から、このような場所を探すと、宿場の西方に2本の川と街道がぶつかる辺りに2つの橋が架かっているのを発見します。同安見絵図には、「依田川、落合川ともいふ。南の谷川は和田山より落、東の谷川は大門峠より落」と注意書きされ、また、前掲名所図会にも、「依田川に大橋小橋十間許あり。南の渓(たにがは)は和田山より落、東は大門嵿より落る」と記されています。おそらく、当作品は、依田川に架かる西側の依田(和田)の板橋を想定したものと思われます。(似た風景から大門川に架かる東側の落合の土橋とされることがあります。)広重の「新町」作品を想起すれば、本来直線である中山道を川岸の松のある右側手前に折り曲げて、街道の様子を挿絵的に紹介していると理解できます。常識的に考えて、満月とは言え夕方なので、宿場への到着となります(前掲「軽井澤」「望月」参照)。右側和田宿からの帰り馬を引く馬子および犬と戯れる童達を前景に置き、左側長久保にもうすぐ到着する馬に乗る旅人および天秤を担ぐ農夫のシルエットを中景の橋上に置いていると見るべきでしょう。つまり、川の手前が下流に当たります。上流に描かれる山影の上に松葉に隠れる満月があって、その月明かりを川面が反射しているところが趣です。
長久保は決して月の名所ではないのに、「望月」で描いたばかりの月を再び画題にしたのはなぜでしょうか。その答えを見つけるのに重要なのは、既述した芦田・長久保と更級・姨捨山のイメージの繋がりです。川面に反射する月は、田に反射する月と同じ理屈と判れば、当作品は、実は姨捨山(鏡臺山)あるいは田毎の月を擬(なぞら)える見立絵と解釈できます。善光寺道にあった名所を中山道の宿場風景に忍ばせ、つまり、見たい景色を見せて、庶民の期待に応えようとしているのです。
*注1:『岐蘓路安見絵図』(長窪)
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