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27 信濃国 「芦田」

「二拾七 木曽海道六拾九次之内 あし田」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido27 『木曽路名所図会』(巻之4)には、芦田から長久保まで、「石割坂」、「石荒坂」などの坂道が続くと記されています。後掲『岐蘓路安見絵図』(芦田)と対照すると、石割坂の上りの途中辺りから松並木が続き、一里塚、笠取峠(さゝとり、かりとり峠)、茶屋2軒、そして下り坂(石荒坂?)を経て、(五十鈴)川を渡り、長久保の宿に至ると推測できます。このような情報と当作品を照らし合わせると、広重が描いたのは、2軒の峠の茶屋があった笠取峠であることが判ります。その茶屋(小松屋)では、「浅間山一見所」「三国一の力餅」を売り物にしていたとあります(児玉『中山道を歩く』p195参照)。この解説から想像すると、当作品遠方に見える茶色の山は、実際には美ヶ原高原の方向ですが、浅間山を想定しているのかもしれません。『旅景色』は西から東を見てと解釈しています。ただし、その場合には浅間山は左手に見えるはずで、敢えて言えば、茶色の山は蓼科山あるいは妙義山方向となります。同名所図絵には、石割坂について、「此坂より遥に妙義山見ゆる。この道悪し」とあるので、西からの眺望ならば、妙義山の可能性が高いでしょうか。

 当作品の構図全体は非常に抽象化されているのが特徴です。手前の峠道は曲線で描き、その背後の山々を対比的に直線で表し、そこに垂直に杉の木々を加えるという描法です。険しい山間、上り下りの激しい峠道を極端に抽象表現した理由は、広重が、この情景を信濃国を代表する「更級」の典型的風景と同一視しているからです。つまり、芦田の風景を使って、前掲名所図会が「蘆田より七里あり。郡の名にもいふ。山川里和歌に詠ず」と記す、更級の風景をイメージ表現したと考えるということです。こう解して初めて、次の「長久保」の名月の意味が見えてきます。なお、景色は抽象表現ですが、街道を旅する人々の日常景は広重らしく細やかなものです。


*注1:善光寺道
 『木曽路名所図会』(巻之4)は、軽井沢では「笛吹峠上杉武田合戦」、八幡では「川中島合戦」(山本勲功記)、芦田では「海野平合戦」にそれぞれ多くの頁を割いていて、この地域一帯が甲斐武田、越後上杉、そして滋野一族などの信濃諸将の戦いの地であったことがよく判ります。また同名所図会の芦田に関する記述の中で注目すべきは、「更級(さらしな)」および「姨捨山(おばすてやま)」がここで触れられていることです。同名所図会は、姨捨山について、「更級郡にあり。こゝに姨石といふあり。俗に鏡臺山ともいふ」と記します。なぜこのような記述があるかと言えば、芦田から長久保に向かう途中、宿の手前の石荒坂から善光寺に至る道が分岐していることと関連しています。同名所図絵には、「此所より善光寺まで十五里」とあります。大事なのは、中山道の浮世絵の制作イメージに、これら善光寺道の要素が影響を与えている可能性があることです。
 この関連で、狂歌絵本・広重画『岐蘇名所図会』(版元春友亭)が追分と諏訪の間に、「筑广川」、「善光寺」、「更科鏡臺山」等の風景を挿入していることが参考になります。中山道よりも、善光寺道の名所を優先しています。


*注2:『岐蘓路安見絵図』(芦田)

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