24 信濃国 「塩名田」
「二拾四 木曽海道六拾九次之内 塩なた」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂 浅間山、善光寺、川中島合戦と続いた信濃国のイメージは、塩名田では単純明快に千曲川です。千曲川は、甲斐と信濃の国境にある金峰山や3国の境をなす甲武信(こぶし)岳の北斜面の水を集め、塩名田の西側を流れ、小諸・上田の城下を通り、善光寺平で松本方面から来る犀川と合流して、川中島地域をつくり、さらに北流して、越後新潟では信濃川と呼ばれ、日本海に流れ出ます。中山道が千曲川を越えるのは唯一ここだけです。『木曽路名所図会』(巻之4)の図版「筑摩川」および後掲『岐蘓路安見絵図』(塩名田)ともに、千曲川には橋が架けられていますが、当作品では船渡しの情景となっています。川幅80mの大河に架けられた(仮)橋は洪水の度に流され、その後しばらくは、船渡しや井桁を利用した輦台であったようです(児玉『中山道を歩く』p175)。同安見絵図も、「水出れば、舟わたし」と記しています。渡し場を控える宿場の特徴として、本陣が2軒あります。
川岸に繋がれている船の前に立つ3人の船人足は川風の冷たさを凌いでいる様子ですし、欅の大木の前にある休み茶屋には薬罐が掛かっていて、船人足、井桁人足達はやはり火に当たっているようです。これは、寒い季節を想定しているというよりは、高所の信濃国の気温・水温の低さを示すもので、東海道の渡し場の賑わいとは異なることを物語っています。旅人が1人もいない珍しい作品です。対岸御馬寄(みまよせ)村を通り全行程27町という短い距離で、次の八幡の宿場に到着します。
*注1:『岐蘓路安見絵図』(塩名田)
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