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23 信濃国 「岩村田」

「二十三 木曾道中 岩村田(イワムラタ)」 溪斎画 竹内 極と竹


Kisokaido23 信濃国に入って、浅間山(3点)、善光寺(1点)が作品のテーマにそれぞれ採り上げられてきましたが、当作品では何がテーマとなっているのでしょうか。『木曽路名所図会』(巻之4)は、岩村田について、「善光寺へ別れ道あり。又小諸の道二里なり。又甲州地の道條(みちすぢ)あり。当駅は内藤美濃殿の領地なり。商人多し」とあります。岩村田の宿場が、北の善光寺(北信濃)方面と南の甲斐方面への道の分岐・合流部に当たるという情報です。これに、東の上野下仁田道が重なり、交通の要衝であることがよく判ります。内藤家1万5千石の御陣下で、高崎と同様、本陣と脇本陣がなく、旅籠も8軒と少なく、旅人が敬遠する商業中心の宿場ということです。幕末に至って、交通(軍事)の要衝であることも手伝ってか、幕府より築城(上ノ城)が認められています。宿場内には、佐久に侵攻した武田信玄が越後から北高禅師を迎えて中興された曹洞宗・龍雲寺があって、天正元(1573)年、駒場で病没した信玄の遺骨密葬の地とも言われています。

 さて、当作品中、遠景に描かれる山々に注目すると、右隅の山麓に茶色の土盛のような部分があります。摺残しではなく、意図的なものとして推論すると、大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p312)の次の記述が参考になります。すなわち、「右に一禅寺【龍雲寺】あり。門に東山禅窟といふ額をかく。左に善光寺道あり。右に住吉大明神あり。駅を出て左右ともに田畑みゑてうちひらきたる所也。左のかたにあさま山をみつゝゆく」と記した後、「一つの山近くみゆ。三井の何某の城あと也とぞ。此うちに冨士の山の形したる山【平尾富士】もありしといふ。すべて道はゞひろくして人家なし」とあります。つまり、英泉描く土盛は、南畝も記す、街道から見える城跡と考えられ、それは、『中山道分間延絵図』(岩村田)と対照すると、「此辺大井越前守古城跡」と記載される場所に相当すると考えられます。ただし、南畝は大井を三井と間違えたようですが…。結論として、背後の風景は、岩村田の宿場から(京方向)左手に見えた戦国時代の大井城跡とその後ろの山々であることが判ります。(地元の人ならば、画中の山を左・荒船山から右・茂来山辺りと見るのではないでしょうか。)これを後景として、前景が挿絵的に重ねられているのが英泉の常套的手法です。

 前景左側には、小規模な土盛があって木(榎)が1本植えられています。その脇には、手水鉢(ちようずばち)があります。おそらく、これは一里塚と手水鉢状の石標と思われ、該当するのは、岩村田宿西側の平塚にあった街道右側の一里塚と想定されます。ここで座頭達が喧嘩をしているというわけです。なお、前掲名所図会・前掲安見絵図には、「相生松・相生の松」が名所として掲載されていますが、当作品の木は松とは見えず、かつ夫婦和合の松に喧嘩は相応しくないので、一里塚と比定します。

 では、以上の情報を総合して座頭達の喧嘩の意味を考えてみます。岩村田は、高崎と同じく、城下(正確には陣下)に発展した宿場です。したがって、武士の気風が強い画題を描いても許される事情があります。つぎに、岩村田は南の甲斐からの道と、北の信濃・越後からの道とが交差し、古くから甲信越の交通の要地です。なかでも注目すべきは、前述の信玄ゆかりの龍雲寺が当所にある理由でもあるのですが、信玄は岩村田より信濃に侵攻しているという歴史です。つまり、座頭の喧嘩は、甲斐武田勢の信濃侵攻とそれに対する信濃の武将・越後上杉勢の反撃を擬(なぞら)えて物語るもので、端的に言えば、古(いにしえ)の川中島合戦を描くものなのです。また、戦国時代の大井の古城は坂城の村上によって落城せられ、その村上は武田に追われ、それを助けたのが上杉という関係にあり、大井の城跡は、甲信越諸将の戦国絵巻を描いたことを示す記号となっているのです。また、次の塩名田の画題が、越後に流れる千曲川と気付けば、街道を旅する座頭達の喧嘩を越えて、往古の川中島合戦の戦模様が眼前に浮かんではきませんか。一里塚に腰を下ろす親分風の座頭は床机に座す武田信玄、中央で杖を高く振り上げる座頭は山本勘助、そしてそれと対峙する鉢巻姿の座頭は上杉謙信でしょうか。右下で小銭をばら撒いてしまった座頭は六文銭の真田かもしれません。

 前掲名所図会も、八幡「筑摩川」では、川中島合戦について4頁にも亘って触れ、「山本勲功記」として掲載しています。勘助は、隻眼の武田軍師として有名ですが、この点で、座頭の喧嘩は単なる偶然の一致でしょうか。いずれにせよ、これらが英泉の発想の基にあったのは確実でしょう。ちなみに、歌川芳虎『城名一名ざとうのけんくは』(慶応3年8月)の2枚続では、座頭の喧嘩を戊辰戦争に見立てており、英泉作品が川中島合戦の見立絵(パロディー)であることの傍証となります。


*注1:英泉の川中島合戦!
 市民の浮世絵美術館
  HP(http://ukiyoe.cool.coocan.jp/kaisetsu2.htm


*注2:『岐蘓路安見絵図』(岩村田)

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