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22 信濃国 「小田井」

「二拾貳 木曽海道六拾九次之内 小田井」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido22 小田井は追分に比して飯盛女が少なく、後年、「姫の宿」と呼ばれるのですが、『木曽路名所図会』(巻之4)には、小田井は、「旅舎少し。宿悪し。…追分の駅迄家なし」とあります。また、後掲『岐蘓路安見絵図』(小田井)は、反対方向、「小田井よりいわむら田迄家なし」と記しています。さらに、同名所図会・同安見絵図は、小田井から岩村田に行く途中を「かないが原・金井が原」と呼んでいて、あわせると、小田井一帯が浅間山の裾野に広がる、寂しい草地であるということが判ります。ちなみに、同名所図会が「左に明神の馬に乗給ふ馬場とて芝に輪騎(わのり)の跡あり。右に明神の杜有」と記述する金井が原は、皎月原(こうげつはら)とも言われ、用明天皇元年、皎月と呼ばれた官女が勅勘を蒙り、当地に流され、白馬を乗り回していましたが、実は白山大権現の化身であり、その後、馬廻りをしていた草原に奇妙な一円が顕れたという伝説の地です(詳細は、『中山道分間延絵図』第7巻・解説p11参照)。

 当作品は、この金井が原の荒涼たる薄野と背後の浅間山から流れくる用水を描いています。しかしながら、秋の彼岸か、賽の河原のような宗教的景色だけが主眼なのではなくて、近景の人物群からより重要な情報が発信されていることに注意が必要です。画面左側には、甲掛け・脚絆に、白い笈摺(おいずり)を着、笈を背負い、喜捨を受ける柄杓を持ち、首には納札を掛ける、典型的な諸国巡礼の姿があります。菅笠に「同行三人」とあるので、弘法大師と旅をする2人(赤子と自分、母と自分)という意味で、お遍路かもしれません。右方向に進む先には、善光寺道との追分があるので、菩提を弔う巡礼の旅の大願成就として善光寺に向かうと考えるのがもっとも自然です。また、画面右側には、「本堂造立」と書かれた幟を持つ勧進僧が描かれています。勧進僧とは、寺社仏像の建立修復の資金調達のために全国を行脚し寄付を募る僧ですが、当作品に登場するのは、やはり、庶民信仰に支えられた善光寺とそこに繋がる善光寺道を意識してのことと考えられます。

 前掲安見絵図には、追分以降、中山道とあわせて善光寺道が併記されています。これは、中山道を旅する最重要目的の1つが信州善光寺への参詣にあるということを明示するものです。とすれば、それを描いた作品があることは当然で、善光寺を影の主題とする当作品がその1つに該当するということです。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(小田井)

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