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21 信濃国 「追分」

廿貳 木曾街道 追分(オイワケ)宿 淺間(アサマ)山眺望」 溪斎画 竹・孫 極と竹 (「竹」 「竹内」)


 第3グループ(広重・錦樹堂に主導権が移る)21~30枚が始まります。木曽街道における浅間山眺望は、東海道における富士眺望と同じような意味を持つ画題と思われます。その意味で、それを英泉が担当している点に英泉の意地を見るような気がします。同様に、もう1枚の英泉作品・岩村田の「座頭の喧嘩」も、信濃国を貫く中山道を彩る構成要素の重要性において、また英泉自身の自己主張のためにも、浅間山眺望に匹敵する特別な役割を持つ画題と考えなければなりません。


Kisokaido21 初めに、画中作品番号が22になっていますが、正確には21のはずです。『木曽路名所図会』(巻之4)は、追分宿に関し、「宿よし出女あり」、沓掛から「此間石坂にして道わろし」と紹介しつつ、宿場の西側にあった、「東山道北陸道追分」を説明の第1項目に持ってきています。言うまでもなく、追分宿の名前の由来だからです。そして第2番目の説明項目が「浅間嶽」で、「小田井追分の宿、軽井沢等浅間山の麓を通る」と記し、後掲「浅間嶽」の図版が掲載されています。『岐蘓路安見絵図』では、江戸を起点にしているため、沓掛においてすでに浅間山が描かれており(前回ブログ注3参照)、「山上に常に煙立」、「此山半より上に草木生せす」、「此辺の石甚かろし。浅間のやけ石といふ」などの説明があります。追分については、北国道・善光寺道の追分(分去れ)に重心が置かれ、これ以降、同安見絵図に善光寺道もあわせて掲載されることになります。

 英泉作品の主題は、もちろん、浅間山です。軽井沢では広重が夜の景の「浅間物」を、沓掛では英泉が雨の景の「浅間おろし」を、そしていよいよ追分では英泉が快晴の景として「浅間山」そのものを採り上げ、一種、三段落ちで浅間山麓にある3宿を紹介する趣向です。沓掛から追分の道程ならば街道右手に、追分から小田井の道程ならば、たとえば追分原から振り返って街道右手に浅間山を見上げることができます。画中の浅間山が煙を上げず、富士頂上部のように描かれているのは、旅籠(35軒)や飯盛女の多い宿場営業に対して噴火の不安を取り除く配慮です。この浅間山の姿に、長持状の荷を人足に運ばせる武家一行(加賀藩?)と、やはり大きな荷(茶?)を積んだ中馬と馬子の姿が街道の状況説明として加えられています。もちろん、北国街道(善光寺道)と中山道との分岐点であり、物流の大動脈であることを表現するためのものです。馬子が桐油合羽を着ているのは、前宿・沓掛の「平塚原雨中之景」を受けてのことでしょうか。馬の尻掛と腹掛には保永堂の宣伝が入っていて、英泉と保永堂の関係は意外にも良好です。


*注1:浅田次郎『一路 下』(p112)
「いまだ明けやらぬ信濃国は追分宿の分去れである。
 江戸方から見れば分岐(わかされ)、江戸へと向かうには中山道と北国街道の合流(あわされ)ということになる。
 …しかしこれほどの人通りは、吉日早朝の日本橋しか思い当たらなかった。」


*注2:木曽路名所図会』巻之4(浅間嶽)

Asamadake

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