17 上野国 「松井田」
「拾七 木曽海道六拾九次之内 松井田」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂 『木曽路名所図会』(巻之4)は、松井田に関して「此駅を松枝(まつえだ)ともいふ。八幡宮のやしろ宿中にあり。是より妙義山に赴く」と記し、「妙義山」と「妙義惣門」の2図版を掲載しています。つまり、当宿場が妙義山への登山口に当たるという記述・図版ですが、広重は画題とはしていません。同名所図会は、宿場の手前にあった「琵琶窪」に触れ、「坂あり。是より江戸まで坂あらす、平地なり。宮の窪ともいふ」と続けていて、広重はこちらの文章を絵にしたようです。いよいよこれから碓氷峠を目指す、最初の上り坂が始まる事実を作画上の重要な主題に立てました。
『岐蘓路安見絵図』(安中)も(前回ブログ注1参照)、「びはが窪」から左手妙義山へ1里とし、街道右手に榛名山を描き、街道のその先にある「あふ坂」について、「江戸より是まで平地」と注意書きを入れています。いずれにしても、ここ松井田から本格的な山道が始まるということです。それ故、安中では坂道ではなく、平地であることが大事なのです。なお、松井田宿と西の横川村の中間辺りにある、上りの丸山坂を画題と見る考えもあります(岸本『中山道浪漫の旅 東編』p81、『旅景色』p27写真など)。ただし、前掲名所図会によれば、「叩けば鉦の音する」茶釜石の名所として紹介されています。坂の重要度が違います。
当作品を具体的に見ると、松の大木の下に榜示杭、石標、関札があって、ここが松井田宿の入口に当たることが想定されています。その後ろに青と赤の幟が立つ祠は、道祖神です。琵琶窪を過ぎた、上りの逢坂を右半分に描き、左半分には街道下の低地から遠くに碓氷峠が見える様を描いています。坂を下る馬は麻、紙、煙草など信州から運ばれる荷などを運ぶもので、馬子も乗って坂を上る馬は、松井田に集められる米を運ぶものです。手前の天秤棒を担ぐ男は行商人です。これらは、松井田が「米宿」と呼ばれ、信州各藩や旗本の江戸回米の中継地点であったことに対応する表現です。ちなみに、年貢米の半分は松井田で売られ、残りは倉賀野に運ばれて一部処分され、残りが扶持米として烏川から利根川を経由し江戸に運ばれます。米相場が立つなどの経済的繁栄の結果、松井田の人口は、『宿村大概帳』によれば1,009人を数える大きな規模です。
*注1:浅田次郎『一路 下』(p145)
「そもそも領分から江戸に向かう年貢米は、江戸詰め家臣の扶持を除いて換金される。ならば江戸まで運ばずに、道中で売却できれば都合がよい。そこで中山道ではこの松井田と、少し先の倉賀野宿に米市が出現したのであった。」
*注2:『岐蘓路安見絵図』(松井田)
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