16 上野国 「安中」
「拾六 木曽海道六拾九次之内 案中」 (弌粒斎)廣重画 錦樹堂 当作品がどこの場所に当たり、何をモチーフに描かれているのかを正しく理解するためには、広重が浮世絵制作に際して使用している技法(作画の特徴)を知っておく必要があります。たとえば、当作品の街道右側は2段の階段状の谷になっており、左側は崖になっているように見えます。ところが、広重が高低差を著しく強調することがあることを知れば、右側には2段の土手がある丘が広がり、左側にもその延長線の丘があるに過ぎず、街道はほとんど平らな道となって低い丘を抜けていることが理解できます(前掲「新町」に描かれる左右の岸の表現を参照)。丘の先にある家の屋根が覗いているのも、高低差のほとんどない平らかな街道である証拠です。
当作品で目を引くのは街道両脇にある竹藪です。この点に関し、『木曽路名所図会』(巻之4)に間の宿「原一村」について、「神明のやしろあり。此近郷網細縄を商ふ。又竹細工の類あり」と記していることに注意が必要です。後掲『岐蘓路安見絵図』(安中)も宿場の西側にあった杉並木と社を越えた辺りに、「あみほそ引又竹細工類あり」と注意書きを入れています。そして、街道のその先は、茶屋本陣(五十貝家)、八本木の立場と続きます。つまり、安中宿から原市の杉並木を通り過ぎた大名行列が、大名や公家などの休憩施設のある茶屋本陣あるいは八本木の立場茶屋を目指す様子を俯瞰して描いているものと解されます。街道先の家も、茶屋というよりは、先の竹細工などを売っている店と考えられます。丘陵部には上州の名産である梅の木が植えられ、店の隣では梅を干す風情です。街道右脇の樹下に見える石塔は、たぶんこの辺りに多く見られる道祖神でしょう。
当作品において安中が「平地」と考えなければならないのは、次の宿場・松井田こそが「坂道」であり、さらに次の宿場・坂本が「峠」の麓というシリーズ構成上の流れを意識するからです。広重作品の作画の特徴を見落とすと、当作品は「郷原」(『旅景色』p26)あるいはその先の琵琶窪・逢坂(岸本『中山道浪漫の旅 東編』p75、p76)を描いているという結論になってしまいます。なお、安中は板倉家の城下町で、広重が当作品で大名行列を描いている理由に、この城の存在があると思われます。城下町高崎でも高崎城が暗示されており、後に紹介する城下町加納でも広重は大名行列を描いています。広重の武士的関心と言えましょう。ちなみに、岩村田も城下町ですが、英泉の対応はいかがでしょうか。
*注1:『岐蘓路安見絵図』(安中)
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