« 11 武蔵国 「本庄」 | トップページ | 13 上野国 「倉賀野」 »

12 上野国 「新町」

「拾貳 木曽海道六拾九次之内 新町」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido12 まず初めに触れておかなければならないのは、広重がシリーズの題名を「木曽道六拾九次之内」と統一していることです。英泉が、「木曾街道」、「支蘓路ノ驛」、「岐阻街道」、「岐阻道中」、「木曽海道六拾九次之内」、「木曾道中」、「岐阻路ノ驛」など、各種の題名・文字を使用しているのと好対照です。題名だけから見ると、英泉にはシリーズ全体を一貫して完成させる意欲が薄いように感じられ、対する広重には、揃物制作の要諦がよく判っているように思われます。言うまでもないことですが、「木曽道」ではなくて、「木曽道」と記しているのは、大好評であった前作保永堂版東海道と対であることを示して、引き続いて本シリーズの購買をも促す戦略と考えられます。最終的には、英泉作品にも「木曽海道六拾九次之内」の題名を使用するものもあり、版元合意のテコ入れ策と推測されます。また、国が変わって、「上野国」からは、広重が1枚目を取っていることに注意が必要です。心機一転の宣言です。

 さて、『宿村大概帳』によれば、新町には、本陣2、脇本陣1、旅籠屋43とあって、本庄には劣るものの、神流川を挟んで渡場を控えた宿場として発展していることが判ります。また、『木曽路名所図会』(巻之4)には、「金鑽(かなさな)明神祠」と「上野武蔵國境」に触れ、新町から倉賀野にかけて、「赤木山榛名山はるかに見ゆる」とし、「惣じて此辺には園(その)に桑を栽(うゑ)、家宅には多く蚕養(さんやう)をいとなみ、繭をとりこれを煮て糸を繰(くり)功を積(つみ)て絹に織る」と記されています。桑畑が広がり、養蚕が極めて盛んな様子が想像できます。

 新町宿の東口が神流川ならば、西口は温井川(ぬくいがわ)に当たります。というわけで、本作品で広重が描く場所は、その温井川に架かる弁天橋です。かつては川の中洲にあった弁財天(水神)の祠ですが、今は橋の袂にあります。この橋を彼岸(立石新田)に渡って、いよいよ広重の「木曽海道」の旅が始まるというわけです。一見夕景のようですが、上流からの視点とするならば、北東方、朝焼けの空が描かれているとも推測され(後摺作品参照)、英泉の日本橋「雪之曙」との対比を楽しむ趣向が隠されているのではないでしょうか。前掲名所図会にあるように、この辺りは養蚕が盛んな地域なので、橋の上を渡る大きな荷物を背負った人は、生糸や繭を運搬していると考えられます。また、左の街道上を天秤棒を担いで歩く人は、『旅景色』(p22)によれば、麹漬を作るため箱に入れた麹を運んでいると解されています。

 英泉は挿絵を繋いだような独特な表現技術を採っていましたが、広重も実写からは離れた技を見せています。それは、橋を渡った後、本来ならば真っ直ぐ左に進むであろう街道を曲げて左手前に持って来ているところです。これによって、街道を旅する人々の情景を見やすく描き込むことができます。そして、その背後に富士のように見える赤城山を加えて、上野国のランドマークを入れる細かい気遣いを示しています。川をくの字に曲げその視線の先に、富士に似た姿(?)の赤城山を据える一方、作品背後に大きな空間をとって開放感を感じさせる工夫があります。保永堂版東海道において完成された、「絵になる風景」構図の典型的応用例です。つまり、完全な構想図であることがよく判ります。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(新町)

A12

|

« 11 武蔵国 「本庄」 | トップページ | 13 上野国 「倉賀野」 »

広重・英泉の木曽海道六拾九次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/65093548

この記事へのトラックバック一覧です: 12 上野国 「新町」:

« 11 武蔵国 「本庄」 | トップページ | 13 上野国 「倉賀野」 »