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11 武蔵国 「本庄」

「十壹 支蘓路ノ驛 本庄(ホンセウ)宿 神流川渡場」 無款(溪斎画 竹内・版元保永堂)


 これより、第2グループ(英泉と広重が5枚ずつ分け合う)11~20枚が始まります。その第2グループ最初と最後の1枚は、共に英泉が絵師なので、とりあえず主導権はまだ英泉にあると言えましょう。ただし、上野国と信濃国の最初の1枚は、気を遣ってか、広重が絵師となっています。第2グループは、制作枚数も平等に5枚ずつということも含め、両絵師のバランスを取ろうとする版元の思惑が読み取れます。


Kisokaido11 天保年間(1830~1844)の『宿村大概帳』には、本庄宿について、人口4,554、総家数1,212、本陣2、脇本陣2、旅籠屋70とあり、深谷宿と比べても、相当繁栄した宿場であることが判ります。そのことは、大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p320)の次の文章からも推察されます。すなわち、「本庄の駅舎にぎはゝし。御代官榊原小兵衛支配所なり」とあって、さらに「(江戸方向)左に金さし大明神あり。又雷電の宮あり。又大きなる寺ありて楼門たてり。(江戸方向)右にも寺あり。駅舎のうちに書肆あり。文広堂といふ。又新古本屋林家といふも見ゆ。江戸両替町下村山城油ありと書し招牌あり。薬ひさぐもの多し」です。宿場の概況は、英泉の前作品「深谷」と重なるものがあります。

 そこで英泉は、本庄宿の西側2里程にあり、武蔵国と上野国との境界をなしていた、副題「神流川(かんながわ)渡場」を描いています。中洲までは橋が架けられ、国元に帰る大名行列が渡っている姿があり、その先は船渡しとなっていて、対岸には新町宿が小さく見えています。人物のキャラが立ちすぎる英泉にしては、珍しく自然な感じで表現されています。手前にある常夜灯は、文化12(1815)年に本庄の商人戸谷半兵衛が中心になって建てたもので、ここにも本庄の経済的繁栄の証拠があります。対岸の常夜灯は、同年、新町宿の専福寺の住職が発起人になって基金を募り建てたものです。なお、文化7(1810)年に新町の高瀬屋に泊まった小林一茶もしぶしぶ12文を払い、「手枕や小言いうても来る蛍」とぼやいています。

 背景に描かれる3つの山並みは、『旅景色』(p20、p21)に掲載される『國郡全圖』(文化11・1828年)と照らし合わせると、上毛3山を表すものと判ります。左から、妙義山、榛名山、赤城山と並び、妙義山の後ろの山は浅間山(または碓氷峠)、赤城山の後ろの山は日光男体山(『旅景色』は白根山)と想定されます。いずれの山も墨色の輪郭線がなく、遠方の山のもやいだ感じを表現する工風があります。今まで見てきた作品のなかでは、もっとも風景画の趣の強いものと言えましょう。ちなみに、『木曽路名所図会』(巻之4)には、「(江戸方向)左の方に赤木山見ゆる。富士峯に似たり」とあります。


*注1:歌川広重と渓斎英泉との違い
 ここで、本シリーズ制作に至るまでの歌川広重と渓斎英泉の経歴の違いを概略検討しておきます。両者とも武士の出身ですが、広重は定火消同心の家督を継いで以来、天保3(1832)年に「一立斎」と改号するまで同職にありました。翌年、保永堂版東海道(『東海道五拾三次之内』)の版行が始まります。他方、英泉は文化7(1810)年讒言によって役職を辞することになります。それによって相当の経済的困窮を味わい、菊川英二宅に寄寓、歌舞伎狂言作者への入門、自画自作の合巻本制作、美人大首絵や戯作の挿絵制作、合巻、滑稽本、随筆の文筆業などを経ることになります。なお、北斎、広重に影響を与えた、藍摺の団扇絵制作に先鞭を付けています。
 注目すべきは、すでに広重は保永堂版東海道をヒットさせ、浮世絵界に名所絵という新ジャンルを確立した勢いのまま、本シリーズに臨んでいるという点です。ただし、英泉にも自負があって、各種の本に絵を付けてきた経験があり、それを発展させる形で本シリーズに挑戦している点は注目されるべきです。なお、保永堂版東海道のヒットは、広重の力量なのか、版元保永堂の企画力なのか、互いに譲ることのできない矜持があるように思われます。この観点からすると、英泉と広重の対立関係はそれほど厳しいものではなく、保永堂と広重の複雑な対立感情に英泉が巻き込まれたに過ぎないのではと想像されます。
 両絵師と中山道の旅行経験の有無についてですが、英泉は、作品を見る限りでは、その足は関東周辺に止まるのではと思われます。『木曽路名所図会』など先行する資料と自分の体験とを付き合わせながら挿絵を繋ぎ合わせるように制作しています。広重については、後に詳述しますが、本シリーズ制作中、一旦中断の時期があって、その時に初めて中山道を旅しています。したがって、前半の構想図(『木曽路名所図会』などを下敷きにした部分)と、後半の実景図(スケッチを加味した部分)とに2分されます。上述の観点を踏まえながら、第2グループでは、東海道で一躍一流絵師に仲間入りした広重のプライドと、ライバル意識から北斎的表現を垣間見せる英泉の対抗心を見据えつつ、両絵師の作品を見比べて行きます。


*注2:本作品の絵師と版元については、「溪斎画」の署名と「版元 保永堂 竹内」の版元印を持つ作例が確認された報告に基づいています(中山道広重美術館『木曽街道六拾九次之内 増補版』2013、p144)。


*注3:『岐蘓路安見絵図』(本庄)

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