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10 武蔵国 「深谷」

「第十 岐阻街道 深谷之驛」 英泉画 竹内・版元保永堂・左枠外に竹


Kisokaido10 『木曽路名所図会』(巻之4)には、「岡部忠澄古跡(おかべのただずみのこせき) 普濟寺」の図版が掲載され、一谷合戦で薩摩守平忠度の首級を得た勲功などが紹介されています。清心寺には忠度を弔う五輪塔もあって、岡部(六弥太)ゆかりの土地柄と判りますが、稗史などとは無関係に、英泉は深谷宿の飯盛女を夜景の中に描いています。なぜならば、秩父の入口・寄居への追分に当たり、利根川舟運の中瀬河岸を控え、また旅籠が80軒(本陣1軒、脇本陣4軒)もあって江戸を出発した旅人の2日目の宿泊地として栄えるなど、商業的に発展した現状を英泉はよく知っていたからです。なによりも、熊谷にはいなかった飯盛女が深谷には数多くいました。

 大坂より中山道を通って江戸に向かった大田南畝の『壬戌(じんじゅつ)紀行』(『太田南畝全集 第八巻』p321)には、宿内では5と10の日に市が立ち、「ある人家に太鼓三味線はりかへといへる札出せるあり」と記されています。つまり、歌舞音曲が盛んでその道具修理の商いが成立する程であったということです。各地を遍歴した英泉ならば、ここ深谷に立ち寄ったのではと想像するのですが、少なくとも、美人画を描いて一家を成した英泉にしてみれば、深谷の華やかな女達の殷賑の様は手馴れた感じで描くことができたはずです。

 本作品では、左の旅籠屋に「竹うち」の柱行灯が掛けられ、格子越しに女達が遊女風に座り、島田髷に左褄をとって芸者風に描かれた2人の飯盛女が、「竹」の意匠の付いた提灯を持った仲居に案内されています。その後ろでも、遣手(やりて)と芸者風の飯盛女が打ち合わせをしています。光が当たった旅籠に対して、右奥の枡形部分は影絵のような表現で、杖を衝く按摩や御用提灯を持った宿役人などが描かれています。光と影の対比をもう1つのモチーフにした作品です。


*注1:大田南畝『壬戌紀行』(じんじゅつきこう)
 みずのえのいぬ、享和2(1802)年3月21日、大田南畝(蜀山人)が大坂銅座詰の任を終え大坂を立ち、中山道を経由して4月7日、江戸に着くまでの紀行。『大田南畝全集 第八巻』(岩波書店・1986)に所蔵。


*注2:浅田次郎『一路 下』(中公文庫、p251)
「旅宿八十軒を算える大きな宿場だが、ここに泊まる行列は少ないと聞いている。飯盛女が多いからである。家来衆が御家の体面を穢すことを怖れ、行列は飯盛女のいない熊谷宿に泊まる。江戸からわずか二十里たらず、つまらぬ評判は伝わりやすい。」


*注3:『岐蘓路安見絵図』(深谷)

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