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08 武蔵国 「鴻巣」

「第八 岐岨街道 鴻巣(カウノス) 吹上冨士遠望」 溪斎画 竹内・保永堂


Kisokaido08 『木曽路名所図会』(巻之4)は、鴻巣について、「大木の杉林大竹の林あり。(江戸方向)左の方に館林並に日光山への道有。又ここに勝願寺といふ浄土宗十八檀林の一ヶ寺あり」と記しています。「大木の杉林大竹の林」の記述は、この地にあった大木に鸛(鵠の鳥)が飛んできて蛇を退治して御神木の祟がなくなったことから、鸛(鵠の鳥)を祀った宮(氷川神社)ができ、それが地名の由来になった伝説を踏まえているのでしょう。館林行田道、日光裏街道、松山道など交通の要衝であることも判ります。なお、勝願寺には、初代関東郡代として新田開発や河川付け替え工事等に従事した、伊奈忠次・忠治父子の墓があります。
                                                      
 ところで、前掲名所図会は、鴻巣から熊谷に向かう途中にあった、「箕田(みた)村八幡宮 渡辺綱舊趾(わたなべつなのきうし)」という図版を載せています。嵯峨源氏にして、源頼光の四天王と言われた渡辺綱ゆかりの土地柄であるということです。同名所図会によれば、鴻巣から、その箕田村、中井村、前砂村、吹上村、荊原(ばらはら)村、久下村、戸田八町村を経て熊谷に至るとあります。そして、その吹上村に関して、「立場にして茶店(さてん)あり」とあって、英泉作品は、副題を文字通り信じれば、この立場の辺りから富士を遠望するものであると謳っていることになります。ところが風光という観点から同名所図会を読んでみると、吹上に関しては荒川の土手と忍の刺足袋の記述が中心で、むしろ、箕田村近くの「前砂むら(江戸方向)右に浅間峯見ゆる」とあります。土手上にあった高度の低い吹上の立場を富士見の名所とすることには不自然さを感じます。したがって、本作品は、土手に下る前、吹上よりももっと鴻巣に近い「前砂の一里塚」辺りからの富士遠望図と判断することにします(後掲『岐蘓路安見絵図』鴻の巣参照)。

 英泉が鴻巣を発って、箕田村を過ぎ、前砂の一里塚辺りで富士や浅間を遠望し、そして吹上の立場の茶店で休息をした体験と印象から生まれたのが本作品と考えれば、納得できるのではないでしょうか。つまり、「鴻巣宿から吹上の立場に行く途中、富士遠望する図」ということです。途中の道程と時間の長さが省略されています。

 さて、本作品の近景には、全国を行脚する虚無僧の旅姿が描かれています。白装束、編笠、尺八、帯刀がお決まりの普化宗の有髪僧です。その虚無僧と擦れ違う振分荷物を担う旅人の後ろを振り返る姿は、その視線の先に富士が来ていませんが、まさに富士を見返す仕草の典型(浮世絵的表現)と考えなければなりません(保永堂版東海道「原」参照)。次に、中景と後景には、両掛荷物と振分荷物の商人、風呂敷包同士の商人が描かれています。旅は道連れという風情です。九十九折になった榎の道に3組の旅人を重ね合わせるのは、視線の移動を利用して旅人に動きを感じさせようとの試みです。強風に弄ばれる富士と旅人の対比構図である、北斎『冨嶽三十六景』「駿州江尻」を彷彿とさせます。ただし、英泉作品には、あまり風や人の動きが感じられません…。ちなみに、道程を短縮する傾向のある英泉が、敢えて道を蛇腹に描いている意味は、荒(畑)地の中に、長い一本道が続いていると想像しなければならないでしょう。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(鴻の巣)

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