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06 武蔵国 「上尾」

「第六 木曾街道 上尾(アゲヲ)宿 加茂之社」 溪斎画 保永堂


Kisokaido06 上尾宿は、『木曽路名所図会』(巻之4)には、「此駅より川越道、岩付道、日光道あり」と記され、追分の宿場に当たることが判ります。児玉幸多『中山道を歩く』(中公文庫、p43)には、飯盛女も多く、「三里はなれた川越あたりからも遊びにきたという」とあります。また、大宮と上尾の中間にある賀茂村につき、同名所図会は、「賀茂村に賀茂祠(かものやしろ)あり」と記し、英泉の当作品もこれを受けて、副題「加茂之社」を描いています。加茂神社は、京都の賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)の分霊を奉祀した社で、五穀豊穣の神です。おそらくそれに掛けて、加茂大明神の幟が見える境内隣の農家の前には、当時、最新式であった唐箕(とうみ)を使って籾摺りを行う様子が紹介されているのだと思われます。画中で、両掛を担った供を連れる合羽姿の武士が見返しているのも、その珍しさに引き込まれた様子を表現するものです。また、当神社は安産の神としても祀られていたようで(『ちゃんと歩ける中山道六十九次 東』山と渓谷社、p30)、境内に掲げられた、「竹之内板」、「保永堂」などの幟は、宣伝とシリーズの安産を願ったものかもしれません。左後方の森の背後に描かれる山は、街道が向かう上州や日光の山々のイメージと思われます。

 英泉が加茂神社をなぜ画題に選んだのかは、一考に値する問題です。なぜならば、そもそも、大宮作品で武蔵国一宮の氷川神社を直接描いていないうえ、大宮から上尾にかけての街道沿いには、天満宮、諏訪(南方)、愛宕、鍬、雷電、浅間等々その他にも多くの神社があるからです。後掲『岐蘓路安見絵図』(大宮)を参照すると、「加茂村・加茂大明神の社」を挟んで、右手に「土手村」の立場があり、左手に「馬喰町新田」の立場があります。そして、「左にちゝぶ山見ゆる」との注意書きとあわせて、加茂神社の正面(南西)に、「秩父山」が描かれています。また、『中山道分間延絵図』(上尾)には、加茂神社の南西に、富士の遠景が描かれています。つまり、加茂神社を英泉が描いたのは、神社自体を名所として選んだのではなくて、秩父山、富士山と正面する場所の標識として紹介する趣旨と考えた方が説得力があります。そこから見える富士は、前作品「大宮宿 冨士遠景」と同様な姿であったことでしょう。この前提に立つと、当作品中、街道上左の武士と従者が見返しているのは、唐箕(だけ)ではなくて、富士・秩父の遠景であるのかもしれません。中景の森の背後左手に薄く2つの山が描かれているのも、描かれていない正面の山を意識させる工夫かと思われます。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(大宮)

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