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03 武蔵国 「蕨」

「第三 木曾街道 蕨(ハラビ)之驛 戸田川渡場」 溪斎画 保永・竹内


Kisokaido03 板橋宿を発ち、志村(一里塚)を過ぎると中山道最初の難所、戸田の渡しに出会います。そこからさらに2km程進んだ所が蕨宿です。戸田川は下流で荒川、隅田川に続きます。出水して川止めになると、江戸から来た者は引き返すか、千住へ回ることになります。『江戸名所図会』(前掲書4、p382~p383)の後掲図版「戸田川渡口」を見れば、遠くに富士や大山、秩父の山々が望める様子が一目瞭然です。英泉は、そこから渡し船の部分だけを切り取って描いたと言えそうです。船が向かう先の(下)戸田村が渡し船の権利を持っており、川会所もあって、本作品ではよしず張りの船頭小屋が描かれています。飛び立つ白鷺の中、人馬ともに渡し船に乗っていますが、引回合羽を着て風呂敷包を背負った旅商人の背後に座り込む2人連れは、村々を謡い歩く盲目の瞽女(ごぜ)です。広重(保永堂東海道)が「川崎(六郷川渡舟)」で、やはり2人の女性を描いているのを意識したのでしょうか?戸田川の上流にあった神宮(かにわ)川は、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』では犬塚信乃が登場する場所であり、三代豊国や国芳の浮世絵作品では、この辺りを八犬伝ネタと関連付けて紹介しています。

 なお、ここまで英泉描く旅人は、日本橋北詰彼岸を出発し、板橋で庚申塚を過ぎ結界の地を越え、再び戸田川で彼岸に渡るといった具合です。庶民にとって旅は日常を越えた彼岸への旅立ちなのだと、強く感じさせる序章構成となっています。


*注1:『木曽路名所図会』(きそじめいしょずえ)
 大坂の版元・和泉屋源七等と京都の版元・小川多左衛門等から、文化2(1805)年に刊行され、6巻7冊の構成です。編著者は、『都名所図会』を筆頭に数多くの名所図会を刊行した秋里籬島、絵師は、京都の西村中和(号・梅渓)です。当図会の言う「木曽路」は、京都三条より近江・美濃・信濃・上野の四つの国を経由して江戸日本橋に至る中山道のことを意味しています。69駅、135里余りあります。『木曽名所図会』ではなく、『木曽路名所図会』と呼ぶ所以です。ただし、京から草津の宿までは『東海道名所図会』と重なるので、そちらに譲ることとして基本的には省略されています。
 西村中和の跋文によれば、この図会を作成するために、秋里籬島と西村中和は、享和2(1802)年夏から、木曽路の旅に出て、江戸に着いたのは2年8ケ月後の文化2(1805)年3月であったと記しています。秋里籬島はこの当時すでに70近い年齢で、実に3年を費やして取材旅行をし、実地調査に基づいて編纂し、写生画を掲載したことが判ります。
 全6巻のうち、4巻目で江戸日本橋に到着し、5巻は日光道中、6巻は香取・鹿島・筑波山といった木曽路とは関係のない名所図会となっています。これは、先行作『木曾路之記』(正徳3・1713年)を著した貝原益軒が、あわせて、日光参詣記などを出しているので、それらを営業的に意識したものと想像されます。


*注2:『江戸名所図会』(戸田川渡口)

Todagawawatasiguti

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