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清水寺と善光寺

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 ここに紹介する大判3枚続の源氏絵は、安政3(1856)年正月改印の歌川(三代)豊国『源氏十二ヶ月之内 卯月』(藤岡屋慶次郎)です。その他にも、「猛秋」「晩秋」「師走」「雪見月」などの作品があります(『浮世絵で愉しむ源氏物語』双葉社・2014年、34頁以下参照)。本作品は、背後の山に清水寺の舞台が描かれているので、場所は京都(音羽山)が想定されます。また、「卯月」とあって、初夏の、白い花咲く卯の花巡りを描いていることが判ります。左の作品上部の空には夏鳥ほととぎすが舞い、それを合巻『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)の主人公光氏一行が見上げています。源氏絵という形式を踏んでいますが、旧暦安政2年10月の安政江戸地震後初めてのお正月作品ということを考えると、光氏を徳川将軍に擬(なぞら)えて、安政地震後も何も変わらぬ平穏平和な将軍生活を紹介する趣向と解すべきでしょう。この頃、多くの源氏絵が制作されているのも、源氏絵ブームということのみならず、幕府(将軍)ひいては江戸の安寧と復興を希求する庶民心理を反映してのものと捉えるべきです。


 清水寺は西国巡礼の第16番霊場に当たり、本尊は千手観音、開基は延鎮大師とされています。江戸でも清水寺の舞台造りは有名で、上野の山にはそれを模した清水(観音)堂が建てられており、広重の『名所江戸百景』「上野清水堂不忍ノ池」にも、満開の桜に囲まれる風情が描かれています。もちろん、本家本元の清水寺の桜も美しく、なかでも、地主(じしゅ)の桜は有名でした。清水寺の舞台は、じつは延鎮が霊木に彫った千手観音を祀る本堂に当たります。南側を向く舞台とは反対の北側の内々陣に祀られているので、お詣りは本来は北を向いて行わなければなりません。


 さて、その本堂建物の北側には、崖を一つ隔てて、さらに拝殿と本殿があり、そこに地主神社があります。これが、清水「寺」の地主「神社」の桜の謂れ(場所)に当たると思われます。寺の本堂の北側に、寺の創建よりはるかに古い(一説には縄文時代の)石を祀った神社があるという位置関係は、善光「寺」本堂の北側にその創建よりも古いと推測される年越の「宮」があったというのと同じ構造であることに気付きます。地主神社は、おそらく、かって音羽山(清水寺)が琵琶湖に浮かぶ半島であった時代の水神と深く係わるものと推測されます。善光寺・年越の宮の前身・水内(みのち)神社も本来は水神と思われ、その役割にも共通性があります。琵琶湖と半島、千曲川と山など、かつての同じような地理が目に浮かんできませんか。庶民文化の基底部分には、やはり神仏習合の世界があるようです。ちなみに、清水寺の仁王門前には、本来は神社の守り神・狛犬が鎮座しています。

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