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広重の冨士三十六景

はじめに


 浮世絵において富士を描いた作品と言えば、第一に、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』を誰もが思い浮かべるでしょう。そして、他の浮世絵師、とくに歌川広重の作品と比較する際も、北斎作品を基軸にして参照することがやはり多くなります。しかしながら、視点を変えて、たとえば、広重の『冨士三十六景』を主軸として他の作品を参照する方法を採れば、また違った鑑賞・分析も可能なのではないかという思いに至り、今回のブログでは、敢えて、広重の『冨士三十六景』を分析の中心に置くこととしました。


 『冨士三十六景』は、富士見の名所を紹介する竪大判36枚のシリーズとして企画され、版元蔦屋吉蔵(紅英堂)から版行されました。これに、(二代)三亭春馬が目録1枚を加えて完成しますが、その目録の改印が安政6(1859)年6月になっているので、版行はその頃と考えられます。実は、広重の富士に関する揃い物には先行作があって、すでに、嘉永4(1851)年ないしは遅くとも嘉永5(1852)年頃までには、横中判の『不二三十六景』が版元佐野屋喜兵衛から版行されていました。北斎の死が嘉永2(1849)年4月18日と言われており、北斎に対する配慮があってか、それ以前には広重による富士に関する揃い物の発刊は見当たりません。


 ところで、『冨士三十六景』の各作品の改印は、安政5(1858)年4月となっています。つまり、シリーズ制作から版行まで1年以上の中断があったことになります。ちょうどこの頃、『名所江戸百景』(以下、江戸百と略します)が100あるいは110枚を越えてもなお継続する方針になったこと、安政5年9月6日に広重が突然死亡したこと、さらには、万延元(1860)年が富士出現の庚申縁年に当たるという販売事情などが絡んでのことと思われます。なお、広重には、『富士見百図』(安政4年改印、安政6年刊行)という未完の作品集があります。明らかに北斎の『冨嶽百景』を意識した作品で、今日的意味での風景画を旨としたスケッチ集と言うことができます。ただし、これについては別の機会に改めて触れることにしたいと考えています。


 上述したように、『冨士三十六景』は、構想制作の時期が広重晩年の大作シリーズ江戸百と重なっており、作品の制作態様につき、江戸百との棲み分けが明らかに考慮されているなど、従来見落とされてきた興味ある観点があります。したがって、この点にも、やや厚みを増した説明を加えていけたならばと思います。また、江戸百には、近景を極端にアップした「近像型構図」が多用されているのに対して、同時期の『冨士三十六景』ではほとんどそのような構成を見ることがありません。この点に関し、「近像型構図」は、江戸百の目録を作成した、能書家梅素亭玄魚(ばいそあんげんぎょ)の助言によるものという見解があります。もしそうならば、その分、『冨士三十六景』には広重オリジナルの思考が強く反映されていると評価することもできましょう。


 ちなみに、当ブログに掲載する『冨士三十六景』の浮世絵は、国立国会図書館に所蔵されるものであることを先にお断りします。北斎『冨嶽三十六景』に関しては、アダチ版画を便宜的資料として掲載しております。また、総説的解説として、町田市立国際版画美術館監修(謎解き浮世絵叢書)『歌川広重 冨士三十六景』(二玄社・2013)を挙げておきます(以下、謎解き『冨士三十六景』として引用します)。その他、赤坂治績『完全版 広重の富士』(集英社新書ヴィジュアル版・2011)。

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