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9 雑司かや不二見茶や

Fuji_9 「雑司かや不二見茶や」とは、一体どこにあるのでしょうか?江戸っ子にとって、雑司が谷と言えば、目黒正覚寺、「恐れいりやの鬼子母神」で有名な入谷真源寺、そして雑司が谷法明寺を加えて、三大鬼子母神の参詣地としてよく知られた場所です。したがって、画題の富士見茶屋は、この法明寺の鬼子母神に至る道筋にあったことが推測されます。また、『江戸名所図会』の図版「法明寺雑司谷鬼子母神堂」(4-p222、p223)を見ると、門前や参道周辺に多くの茶屋が描かれているので、これらの西方富士を見通せる茶屋を想定していると考えられます。画中右の小山を、雑司が谷の西に位置する長崎村域の鼠山と見る説もあります(謎解き『冨士三十六景』p28参照)。


 ところで、鬼子母神堂(日蓮宗)は、子授け・安産・子育ての神様として、女性参詣者に人気のあった場所です。それ故、本作品においても、女性2人が茶屋で休憩しながら富士を眺める構図となっています。『江戸名所図会』の「雑司谷の会式」を紹介する図版(4-p224、p225)には、「毎歳十月八日より十三日まで修行す。参詣の輩は同じく六日の頃より二十三日の頃まで、群集して稲麻のごとし。」との書き入れがあって、多くの女性達の参詣姿が描かれています。なお、併せて、芭蕉の「菊鶏頭伐りつくしけり御命講」という俳句が記されています。この会式(日蓮の命日、旧暦10月13日)の頃、この地域では参詣者に売るための菊花などの栽培も盛んで、本作品中に、菊の鉢植えが覗いているのもそれを感じさせる表現かと思われます。茶屋の上下には、季節柄、柿の実が見えています。


 江戸百に関して、安政3年3月13日の板橋筋への将軍御成によって、「王子瀧の川」、「飛鳥山北の眺望」、「千駄木団子坂花屋敷」、「日暮里諏訪の臺」の各作品が制作され、安政4年1月21日の王子筋への将軍御成によって、「高田姿見のはし俤の橋砂利場」、「王子音無川堰埭(えんたい)世俗大瀧ト唱」、「高田の馬場」の各作品が制作されたと仮定すると、いずれの際にも雑司が谷道を抜けたと推定されます。にもかかわらず、江戸百には雑司が谷の作品がありません。その理由については、『冨士三十六景』のために本作品を残しておいたと考えれば、納得できるのではないでしょうか。


 広重『絵本江戸土産』第4編に「雑司ヶ谷鬼子母神法明寺」と題する作品があり、視点は変えてありますが、『江戸名所図会』の一部を切り取って制作されています。つまり、定番の富士見図ではないかもしれませんが、広重が雑司が谷からの風光に興味があったことは十分に窺われます。また、本作品に、広重が『絵本江戸土産』第3編、7編で採り上げた目黒の富士見茶屋の情景を重ねたであろうことも容易に想像ができ、この辺りに本作品の制作動機があるように思われます。『不二三十六景』には、該当作品はありません。


Hokusai23 なお、北斎の『冨嶽三十六景』にも雑司が谷の作品はありません。しかしながら、「東海道吉田」において、同じく富士見茶屋の作品を見つけ出すことができます。そこでは、富士を眺望する2人の美人を富士と一緒に建物の窓枠あるいは店入口の柱ごと切り取って、額縁仕立てとしています。富士と美人を同一世界に取り込み、その一体感を大事にする富士信仰上の思惑を見つけ出すことができます。一方、広重の本作品では、2人の女性の参詣姿という日常性を基調とする富士眺望図となっていて、富士を日常風景の中に収めようという意図が感じられ、北斎との差が顕著に示されています。

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