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19 相模七里か濱

Fuji_19 本シリーズの作品配列は、一旦東海道を離れ、鎌倉と江ノ島を結ぶ海岸上から、富士見の名所を選び出す方針のようです。それが、「19 相模七里か濱」と「20 相模江之島入口」に当たります。七里ヶ浜は稲村ヶ崎と腰越の間にあり、『東海道名所図会』(巻の五)によれば、関東風に6町を1里とすると鎌倉から7里あることが命名の由来と説明されています。


 七里ヶ浜の海岸線を江ノ島方向に歩く旅人に小銭でもせがむ子供達や茶屋で一休みする揃いの着物姿の女性達が、七里ヶ浜の代表的日常景なのでしょう。女性達は芸能上達を願っての江ノ島参詣と想像がつきます。江ノ島の右側の緑の丘が、断崖部分は見えていませんが、小動(こゆるぎ)岬に当たります。よく見ると、茶屋に掛かる暖簾に、「日本はし」、「魚かし」の他に、「ヒロ」(広重)、「蔦吉」(蔦屋吉蔵)などと書かれていて、絵師と版元の宣伝となっていることに気付かされます。これは、前半18枚が終わって、これより後半が始まるというサインとして書き入れられたもので、広重が各種シリーズ版行時にしばしば行う定番の儀式と考えられます。


 本作品でも、富士に相似する三角形の茶屋の屋根を近景に置いています。しかし、北斎とは異なって、自然に見えるような穏やかな構成です。本シリーズに先行する『不二三十六景』「相模七里か濱風波」は、本作品よりさらに江ノ島に近づいた地点での風景です。江ノ島と小動岬の間に富士に相似する三角形の波を描き入れて、まさに北斎的構図の応用と考えられ、作品の発展過程を読み取ることができます。形式的には、『不二三十六景』「相模七里か濱風波」は、北斎のたとえば「神奈川沖浪裏」と似ていますが、富士信仰の観点では、本質的部分を承継しているとは言えないでしょう。


Hokusai12 北斎『冨嶽三十六景』「相州七里濱」と対比してみましょう。北斎は、稲村ヶ崎上空に視点を置いたので、「七里濱」という題名にもかかわらず、七里ヶ浜は全く見えず、広重の本作品と対照してやっと江ノ島と小動岬の向こうに富士を遠望する、本作品と同様の構図だということが確認できます。通常の風景と考えてはならず、右隅に描かれる三角の鎌倉山が富士と相似形であることには、北斎的重要な意味があります。すなわち、雲間から頭を出す富士と日光を反射する江ノ島の海から頭を出す鎌倉山とが相似し、遠景の富士世界と近景の富士(鎌倉山)世界とが連続して繋がっていることを表現しているのです。つまり、富士世界に包摂される「相州七里濱」の姿なのです。

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