« 7 東都隅田堤 | トップページ | 9 雑司かや不二見茶や »

8 東都飛鳥山

Fuji_8 『江戸名所図会』(5-p157)によれば、飛鳥山は、「数万歩に越えたる芝生の丘山にして、春花・秋草・夏涼・冬雪眺めあるの勝地なり」とあります。元享年中(1321-1344)に豊島氏が飛鳥の祠を勧請したことに始まり、元文の頃(1736-1741)、徳川吉宗の命によって桜樹数千本が植樹されてから、庶民の一大行楽地へと変じています。『江戸名所図会』の図版(5-p162、p163)によれば、桜のみならず、富士見の景勝地としても描写されています。したがって、広重『絵本江戸土産』第4編においても、広重は飛鳥山から西方に富士を眺望する作品を掲載しています。この点で、江戸百「飛鳥山北の眺望」が敢えて飛鳥山から北方に筑波山を眺望する構成を選択しているのは、後続『冨士三十六景』のまさに本作品を意識してのことであったことが推測されます。


 見落としがちですが、丘の向こうに見え隠れする傘の列は何なのか気になります。これは、江戸百「下谷広小路」、「上野山した」、そして『絵本江戸土産』第4編にも描かれています。当時の桜見に際する風俗で、琴や三味線などの音曲師匠とその弟子一行が桜見に向かう際に見せるデモンストレーションと考えられます。これが、江戸庶民にとっての日常景なのでしょう。


 『不二三十六景』「東都飛鳥山」は、『絵本江戸土産』第4編とほぼ同じ構図です。飛鳥山にあった由緒を記した石碑が、ともに作品の左手に取り入れられています。竪絵である本作品の制作に際して、石碑の部分はカットされていて、それに代え、料理屋や茶店の賑わいなどの表現が加えられたのだと思われます。北斎『冨嶽三十六景』には、飛鳥山を描く作品はありません。飛鳥山が富士よりは、桜の名所としての特徴が強いからでしょうか。

|

« 7 東都隅田堤 | トップページ | 9 雑司かや不二見茶や »

広重の冨士三十六景」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/62279843

この記事へのトラックバック一覧です: 8 東都飛鳥山:

« 7 東都隅田堤 | トップページ | 9 雑司かや不二見茶や »