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6 東都両ごく

Fuji_6 両国橋は、明暦の大火の後に、千住大橋に次いで、そして下流域では官府の橋として初めて隅田川に架けられました。また、かつて隅田川が武蔵国と下総国の国境であったことが命名の由来となっています(『江戸名所図会』1-p126)。橋詰には火除け地として広小路が設けられ、多くの出店や見世物小屋等が建ち並び、数多の人々が集まる江戸の中心的遊興ゾーンの1つでもありました。代表的な行事は、5月28日から始まる川開き、(納涼)花火ですが(『江戸名所図会』図版「両国橋」1-p130以下参照)、本作品は柳の芽吹き具合から春の頃と思われ、画題を異にしています。本作品と江戸百の作品を並べると、「両国橋大川ばた」は隅田川西岸から東岸方向を見遣る作品、「浅草川大川端宮戸川」は両国橋から隅田川上流北方向(筑波山)を見遣る作品、そして本作品は隅田川東岸から西岸西方向(富士)を見遣る作品と、それぞれ絵師の視点を違えて描かれ、棲み分けがなされていることが確認されます。


 江戸百との比較では、両国橋からの富士遠景は本作品が初めてです。しかし、『不二三十六景』「東都両國橋下」に橋脚の彼方に見える富士の構図があって、それと比べれば、本作品は絵師の視点が両国橋まで上昇したと言うことができます。同「東都両國橋下」は、おそらく、北斎『冨嶽三十六景』「深川万年橋下」を意識しつつ、日常的な情景に引き戻そうという広重の工夫がある作品と考えられます。


Hokusai32 広重的工夫という点では、本作品についても同じことが言えます。つまり、北斎「御厩河岸より両國橋夕陽見」の構図重視の作品を、広重らしく日常風景に引き戻そうとしたものと理解されます。したがって、富士の裾野が紫雲で覆われる夕方の様子として、近景に舟遊びの用意をする芸者2人を配し、その背後には吉原に向かうと思しき猪牙船がいずれもよくある日常の情景として加えられているのです。両国橋の上を大名行列が渡っているのは、もちろん、帰参風景となりますが、これも、武士出身の広重らしい題材選択と思われます。本作品は、北斎作品と対比することによって、作品の趣向、とくにその情緒性がいっそう浮かび上がってくる仕様となっています。江戸百と比べると、珍しく、女性が正面方向に顔を向けています。背中を見せている女性の着物の柄が燕になっているのは、「柳に燕」という季節感からでしょうか。


 広重『絵本江戸土産』初編「両國橋」は、同時期の『不二三十六景』「東都両國橋下」を意識したのか、絵師の視点は空中にあって、両国橋や富士を俯瞰するものとなっています。絵師の視点に違いはありますが、本作品も、それを元絵として、竪絵に切り取って制作されたとも言えましょう。付け加えれば、北斎が「御厩河岸より両國橋夕陽見」において構図性に拘っているのは、此岸と彼岸を繋ぐ両国橋の先に西方極楽浄土の富士世界を見せつつも、近景の此岸にすでに富士(平等)世界があるという一種宗教的信念を表現するためです。この点で宗教性に深く囚われない広重とは大きく異なること、すでに述べた通りです。

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