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36 房州保田(ほた)ノ海岸

Fuji_36 「34 上総黒戸の浦」、「35 上総鹿楚(埜)山」と段々南に下がってきて、いよいよ、本作品は安房国の保田の海岸からの富士見図です。『浮世絵師歌川列伝』(中公文庫・p172)には、広重の日記を読み解いて、「(嘉永)五年閏二月廿五日、広重再び上総に赴き、また鹿野山に上り、安房に入り小湊誕生寺および清澄寺に参詣し、東房州海岸の風景を眺め、更に西海岸に出でて那古、勝山、保田、鋸山の絶景を探り、四月八日江戸に帰る。」と解説されています。その第一の目的は、「専ら海岸線の奇勝を探るにあるのみ」と結論づけています。


 先行する『不二三十六景』「安房鋸山」では、上総国と安房国との国境に聳える鋸山からの展望を作品化していますが、その鋸山の麓海岸にあったのが、本作品の保田湊に当たります。作品の棲み分けが想定されています。


 『冨士三十六景』の本作品の構成は、右端に鋸山の麓にある明鐘岬の奇岩を見て、その海岸に打ち寄せる波飛沫の背景に浦賀水道、三浦半島を望み、遥かに富士を眺望するものです。海岸の波が富士に相似する三角形を成しているのは、北斎流の技法の応用です。これに対して、海岸沿いの街道を旅人が富士を見ながら歩いている日常景は、広重の特徴です。とくに、手前の法体姿の旅人は、明らかに広重の旅姿に重ね合わせられた人物と考えられます。シリーズ最後の1枚を広重の自画像と思しき人物を登場させて締めることによって、シリーズ全てが広重の旅の体験から生まれた印象を与える効果が生まれています。考えてみれば、シリーズ最初の1枚「1 東都一石ばし」は、広重生家の八代洲河岸を遠望するものでした。シリーズ最後の本作品においては、名所絵の大家としての自負を法体姿の広重の旅姿に見る思いです。


 『房総行日記』(嘉永5年)には、誕生寺堂前の桜の木ぶりが梅に似ているのを見て「梅の木に似たる桜のかたへには 鶯に似し法華経の声」という(狂)歌が紹介されています(前掲書p173)。また、木更津船に乗り遅れて、「葉桜や木更津舟ともろともに 乗りおくれてぞ眺めやりけり」という歌もあって(同書p175)、広重本人は、漂泊の人、西行気取りなのかもしれません!

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