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34 上総黒戸の浦

Fuji_34 畔戸(くろと)の浦は、小櫃(おびつ)川の河口に位置し、現在の千葉県木更津市に当たります。広重の弘化元年の『鹿埜山行日記』によれば、江戸橋より船を利用して木更津に渡り、その北方に位置する久津間道を歩んだとあって、「左に海辺見晴らしよし」とも記されています(中公文庫『浮世絵師歌川列伝』p171参照)。したがって、その時あるいは嘉永5年『房総行日記』に際しての体験を元に本作品は描かれた可能性があります。


 小櫃川河口から鳥瞰的に江戸湾上に富士を遠望する構成で、手前に漁をする船、中景に停泊する五大力船(木更津船)、遠景に帆を張って江戸湾を行き交う船がそれぞれ描かれています。このシリーズを通して貫かれている、日常景の中に富士を配置する作品です。海岸線が丸みを帯びていて、自然と目が向かうその中心部分は、紙の地色が白く光を反射しているかのように見えます。技巧的表現です。なお、停泊する五大力船(木更津船)の綱が三角形を形成しているのは、富士の相似形を富士自身の前に置く、北斎に由来する構図です。


 本作品以前には、『不二三十六景』「上総木更津海上」があります。中央に五大力船(木更津船)を停泊させ、そこから遠浅の海岸を歩いて浜に向かう人々を描いています。そして船の帆柱を中心に三角形を作る綱の背後に富士を覗かせるという、北斎を意識した構図を応用しています。この横絵の作品を竪絵にする際、松の生えた海岸線を加えたのが本作品ですが、その処理方法は、「28 信州諏訪之湖」と同じと考えられます。


 ちなみに、五大力船(木更津船)とは、基本は海船造りの構造ですが、河川を航行できるように吃水が浅く船体の幅が狭くなっています。したがって、海からそのまま河口に乗り入れて市中の河岸に横付けすることができます。江戸橋木更津河岸と上総国木更津湊で貨客輸送を行なっていた船はとくに木更津船と呼ばれます。これに対して、弁財船(千石船)は菱垣(ひがき)廻船・樽(たる)廻船・北前船など、内航海用の大型船を指します。


Hokusai24 北斎『冨嶽三十六景』「上総ノ海路」に登場する帆船が、その弁財船(千石船)に当たります。浦賀水道を進む船越しに富士を遠望する作品で、明らかに帆を張る綱が富士に相似する三角形を形成し、富士を掴まえる構図となっています。これは、富士(講)信仰を背景に、近景に富士の御利益世界を描き上げる趣旨と考えられます。船体の窓から乗船客の顔が覗いているのは、まるで、富士の人穴や石室に参集する富士(講)信仰者のようでもあります。

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