33 下総小金原
小金原は水戸街道・小金宿(千葉県松戸市)の原を意味し、そこに野馬を放牧する江戸幕府直轄の牧の管理施設が置かれたので、利根川(江戸川)東部一体に広がる牧全体を指し示す名称でもあります。本作品の場合も、いくつかに分かれて広がる小金牧を意味し、故に野馬が描かれているというわけです。「14 武蔵越かや在」が日光街道から選択された富士見の新名所であったのに対して、「33 下総小金原」は水戸街道から選択された富士見の新名所ということになります。
本作品では水を飲む馬を近景に大きく描いていて、いわゆる近像型構図を採用しています。このような場合、作品制作の材料に乏しいことが少なくありません。本件にも、やはり先行する広重作品はないようです。ただし、「11 鴻之臺とね川」からは、利根川(江戸川)東岸の下総国より西方に富士が遠望できたことは容易に想像できます。
ところで、『木曽路名所図会』(巻之五)は、江戸から香取・鹿島神社までの名所や街道の宿場などを紹介する部分に当たります。その図版「釜ケ原」はいわゆる小金牧を描写するもので、おそらく広重が参考にしたのではないかと推測されます。同名所図会には、牧から筑波山と富士峰が眺望でき、「野飼の駒五、六十ばかり此野原に放たれて何れも草をあさりて遊ぶさま、いとをかし。…見るに親馬動けば其子もそれにつれてゆき戯れる様、画にかくとも及ばし。」とあります。この辺りの資料から着想を受けて、広重はツツジ咲く牧で戯れる馬の背後に富士を遠望する構図を創作したのではないでしょうか。
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