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32 甲斐犬目峠

Fuji_32 作品の順番とは逆に、富士講の信者は、江戸からは、内藤新宿、府中、小仏峠、上野原、犬目峠、猿橋、大月と歩きます。犬目峠は、上野原を2つ越えた野田尻宿と猿橋2つ手前の下鳥沢宿との間にある峠で、甲州街道が桂川の河岸段丘上を対岸の山々を見ながら進む関係上ほとんど富士が見えない中、初めて富士を遠望できる場所と言うことができます。


 天保12年の広重『甲州日記』(中公文庫『浮世絵師歌川列伝』p159以下)にも、「犬目峠の宿、しからきといふ茶屋に休」と記述されているので、本作品はその体験に基づいていることは間違いありませんが、実景やその際のスケッチとは異なった絵画構成となっています。たとえば、本作品近景に展開される桂川の断崖絶壁は峠を越えて桂川上流部に至らないと見えない部分で、広重が度々描いている猿橋(『甲陽猿橋之図』、『六十余州名所図会』「甲斐さるはし」)などを彷彿とさせます。したがって、本作品は、犬目峠から桂川の対岸に見えるはずの富士(それを眺める旅人)と峠を下った桂川上流の絶壁(その傍を歩む旅人)とをコラボさせた、2つの名所を紹介する秋の紅葉観光案内的作品に位置づけることができます。技法的には、作品中央部の紫雲が本作品を2つに分けているのでしょう。コラボ作品としては、「22 伊豆の山中」参照。


 本作品の原型は、『不二三十六景』「甲斐犬目峠」にあります。峠の上に描かれる茶屋は、明らかに広重が体験した「しからきといふ茶屋」をイメージするものです。意外なことに、北斎『冨嶽三十六景』「甲州犬目峠」の方がまだ犬目峠の実景に近いと言うことができます。作品の中央部に湧き上がる霧を描くことによって、そこに桂川があることを暗示するに止めています。


Hokusai08 なお、北斎の場合には、広重と違って、富士信仰者・講信者へ向けてのメッセージあるいはトリックが仕掛けられていることが多い点に注意が必要です。富士講信者には、甲斐国にて初めて目にする富士という意味で重要な富士見の名所を描いたことの他に、峠を天然の富士塚の如くに描いて、そこから朝日に照らされる(あるいは夕景でしょうか)ツートンカラーの富士が眺望できる僥倖を知らしめていると理解できましょう。ある意味で、富士を直視する北斎の方が、広重よりも富士に対する愛着が深いとも考えられます。その証拠に、広重『冨士三十六景』には、富士そのものと直接対決する、北斎『冨嶽三十六景』「凱風快晴」および「山下白雨」に対応する作品はありませんし、富士講信者を直接描く「諸人登山」に対応する作品もありません。

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