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3 東都数奇屋河岸

Fuji_3 江戸百から本作品が描く場所に近い所を選ぶと、「山下町日比谷外さくら田」と「びくにはし雪中」の中間辺りとなり、数奇屋河岸御門の対岸の火除地からの眺めと考えられます。本作品では、右に外濠の石垣が、左に元数奇屋町の町屋が見えています。外濠の中にある石垣道は、その先には数奇屋御門に続く数寄屋橋が架かり、橋下の瀬木から濠の水が落下しています(二代広重『絵本江戸土産』第8編参照)。名所絵としては、一つポイントになる地形ではあります。なお、『江戸名所図会』に数奇屋河岸自体についての記述はありませんが、「織田有楽斎第宅(ていたく)の地」(1-p212)の説明によれば、「この人茶事に長ず、ゆゑに、宅地にいくつともなく、数奇屋を建て置かれし」とあり、これが(元)数奇屋町の町名の謂れとなったと解説されています。


 江戸百「山下町日比谷外さくら田」からよりも、本作品の数奇屋河岸からの方が、石垣越しに富士を正面に見ることができるので、その点で『冨士三十六景』の1枚に選ばれたのだと思われます。また、私娼を意味する「びくにはし雪中」という題名から判ることは、外濠近くとはいえ、この辺は場末感があるということです。したがって、雪晴の景色が持つ透明感・清涼感によって化粧直ししたものとも想像されます。さらに、雪景色の富士と雪に覆われた数奇屋河岸という構成によって、遠景の富士と同じ世界が近景の数奇屋河岸にも展開されているという意味で、富士信仰的な一体感も生まれてきます。


 考えてみれば、広重の生家に近いので、広重が個人的に馴染みの深い富士の名所風景を3枚目に挿入したというところではないでしょうか。広重発案なので、数奇屋河岸からの富士見の作品は、本作品以前にはありません。各濠にある御門を描かないのは、江戸百と同じく、広重の幕府に対する配慮からです。

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