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24 駿河三保之松原

Fuji_24 薩埵峠から海岸線をさらに西に進んだ駿河湾に突き出た砂州にあるのが、三保の松原です。この順番は、海側から富士見の名所を攻める思考の表れでしょう。三保の松原には羽衣(松)伝説があって、『東海道名所図会』(巻の四)によれば、「そもそも羽衣松というは、むかし天人降りて、この松枝に羽衣を脱ぎかけしを、漁夫ひろい取りて返さず」とあります。これに、都良香『富士山の記』にある、「仰ぎて山の峯を観るに、白衣の美人二人有り、山の嶺(いただき)の上に雙(なら)び舞う」という富士の天女伝説を重ねると、この地が富士信仰と深く結びついた土地であることが判ります。富士、松、海原など、古来よりの歌枕の地です。


 『東海道名所図会』(巻の四)には、「村松久能寺」、「三保入江三保松原三穂神社羽衣松」、そして「寛政丙辰秋八月在 久能山上望三保崎平安原」の図版3点があって、広重の本作品の下資料として使われたことが推測されます。「村松久能寺」の図版を参照すると、各地名もよく読み取ることができます。描かれているのは、富士を背景に清水湊への帰帆風景です。本作品においても、清水湊と三保の松原の間に帆を下ろした船が描かれ、富士の前面に三角形の綱を置くという、北斎に由来する構図が採用されています。


 本作品では、三保の松原の対岸(画中左手)清水湊の方が見えませんが、こちらは、保永堂版「江尻 三保遠望」で鑑賞できます。保永堂版の方は、『東海道名所図会』の図版「久能山上望三保崎平安原」を強く意識した構図と思われます。視点は、清水湊側から丹沢山系(愛鷹山)、箱根山系(二子山)を望むものなので、近景より遠景に向かって、清水湊の家々の屋根、湊の船々、三保の松原、帆を張る船々、丹沢山系、箱根山系の山々が帯状に並び、同時に船の列はそれに直行する視線の流れに添うという構成を楽しんでいます。北斎『冨嶽三十六景』版行直後なのもあって、富士と三保の松原の2つが揃った、まさに「絵になる風景」となる場所ですが、富士を描かず、整いすぎたお膳立てを避けています。これに対して、『冨士三十六景』の本作品では、第一人者のプライドを支えに「絵になる風景」を素直に実現しています。

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