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20 相模江之島入口

Fuji_20 「19 相模七里か濱」からいよいよ相模湾を西に進み、江ノ島に至ったのが本作品です。江ノ島弁天は芸能の神様なので、近景に描かれる3人の女性達は、歌舞音曲の上達を願ってのお参り一行と想像できます。「19 相模七里か濱」の女性達とも繋がってくる江ノ島の日常景です。『東海道名所図会』(巻の六)の「江島海浜」「江島弁天宮」と対比すると、富士は参道入口の「青銅の鳥居」(文政4・1821年建立)のもっと左手のはずですが、江ノ島弁天の鳥居を富士の鳥居と見せる北斎流構図を応用して、実際の位置とは違って描かれています。確かに「絵になる風景」ですが、北斎のような精神性・宗教性を感じることはありません。なお、江ノ島は引き潮の際には、陸と繋がる陸繋島です。本作品は、反対に満ち潮時を想定しています。それ故、背後に参詣客を運ぶ船が描かれているのです。


Hokusai35 これに対して、『東海道名所図会』(巻の六)の図版と同様、北斎の『冨嶽三十六景』「相州江の嶌」は、砂嘴(さし)で陸に繋がる様子を画題にしています。北斎にしては、おとなしい風景に見えるという評価が一般的です。詳しくは触れませんが、北斎は、陸が江ノ島と繋がり、江ノ島が富士と繋がることによって、陸が富士と繋がるという富士信仰上の核心(風穴・人穴伝説)を描いているので、内容には深いものがあります。満潮時の江ノ島を描いた広重には、北斎を意識しつつ、信仰的観点からのおもしろさを剥ぎ落とそうとの考えがあるのかもしれません。ちなみに、19と20の2作品は、もとより実景ではありませんが、広重『武相名所旅絵日記』(嘉永4・1851年)のスケッチを元にしているという研究報告があります(山梨県立博物館『北斎と広重』参照)。

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