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15 武蔵野毛横はま

 本作品より、東海道を西に進みながら、海上からの富士見の名所を紹介する第2部に入ります。『東海道五十三次』を富士という視点で再構成していると分析することもできます。それ以前の部分(14番まで)は、『名所江戸百景』と競合する地域を富士という視点で再構成あるいは棲み分けして描いたものと言い換えることができます。


Fuji_15 保永堂版『東海道五十三次』「神奈川 臺之景」では、宿場の茶店や旅籠の背後に、わずかに横浜村対岸から突き出た洲崎・州乾(しゅうかん)島が見えているにすぎません。本作品では、帆船が浮かんでいた神奈川の海側からの視点で描いているため、富士の眺望と併せて、画面中央の州乾島の右に野毛村、左に横浜村がよく見えます。野毛村の前面に広がる浦には、姥(うば)島という奇岩があって小舟で物見する人も少なくありません。一帯は漁場で、獲物は東海道各宿や江戸の市に送られました。なお、州乾島は対岸の横浜村と陸続きのように見えますが、当時は島です。本作品において、敢えて横浜からの風景が加えられている点には、安政5年9月6日死亡の広重が、安政6(1859)年7月1日の横浜開港をまるで予期していたかのような印象を受けます。


 『江戸名所図会』(2-p284~p292)には、「横濱辯財天社」、「芒(のげ)村姥島」、「本牧塙十二天社」、「本牧吾妻権現宮」等と図版が続き、神奈川宿からの西方海岸線は、なかなか風光に勝れた所であったことが判ります。そのため、広重は本作品では富士眺望を根幹として海側からの新名所を探索していたようです。また、『冨士三十六景』では日常景を作風とする広重なのに、本作品では人物があまり描かれていないように見えます。しかし、出帆、帰帆風景の背後海岸線には、小舟で漁あるいは物見をする人々の姿があって、やはり日常景を忘れてはいません。なお、『富士見百図』の2図目「武蔵加奈川海上芒村横浜」が本作品と似ていることから考えて、新機軸の風景様式を本シリーズで事前に習作あるいはお披露目した可能性を感じます。


 『不二三十六景』「神名川海上」は、野毛浦を正面に据えて、『冨士三十六景』「武蔵野毛横はま」を拡大した作品と考えられます。比べれば、帆柱と富士を重ね合わせている点などは、北斎『冨嶽三十六景』の構図からの影響を強く感じます。ただし、北斎ならば、三角に張った綱の間から富士を遠望したことでしょう。おそらく、『不二三十六景』制作時点での広重は、『冨士三十六景』「武蔵野毛横はま」作品に見られるような日常景への脱却途中にあったのではないでしょうか。

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