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11 鴻之臺とね川

Fuji_11 「鴻之臺」は、利根川(現在の江戸川)の上流部にあって、下総国にあります。基本的に東都の富士見の名所が紹介されていた流れからすると、武蔵国から離れて下総国の紹介となるのは、今日的には不自然ですが、当時は、江戸の名所として一体的に扱う習慣でした。この地に下総の国府・国分寺等があって、古くからの歴史を背負っているという、文化的な一体感がその理由と思われます。『江戸名所図会』(6-p329)によれば、「国府の近き辺りにあるところの丘山なれば、国府台とは号したりしなるべし」とあります。また、「総寧寺の辺より真間の辺までの岡を、すべてかく称するなるべし」ともあります。その歴史・文化性から、『江戸名所図会』にも多くの図版紹介があって、なかでも、「国府臺断岸之圖」(6-p338、p339)が各種広重作品の元絵ではないかと思われます。


 帆を張った多くの船は、銚子→(新)利根川→関宿→(旧)利根川(江戸川)→行徳→新川・小名木川→日本橋川(行徳河岸)と進むもので、江戸への豊かな物流を表現しています。したがって、ここでの富士は、江戸を象徴するランドマークとしての役割を担っています。崖の上に見える僧侶は、謎解き『冨士三十六景』が言うように、崖背後に位置する総寧寺の僧で、富士の眺望に絡めて、かつての古戦場でもあった鴻之台の歴史などを物語っているものと想像できます。崖の周辺には多くの紅葉が描かれています。これは、近在する名所「真間の紅葉」の情景を意識して援用しているのでしょう。


 広重『絵本江戸土産』初編に図版「国府の臺眺望」があって、やはり、江戸の富士見の名所として紹介されています。また、同時期の『不二三十六景』「下総鴻の臺」では、横絵と竪絵の違いはありますが、ほとんど、本作品と同様の俯瞰的視点の構図となっています。江戸百「鴻之臺とね川風景」との棲み分けという観点では、本作品の方が、絵師の視点が高いということです。ただし、作品の趣にそれほどの差違はありません。つまり、総寧寺の僧侶の名所解説それ自体を日常景として描いています。


Hokusai25 敢えて言えば、北斎『冨嶽三十六景』「登戸浦」が、同じく下総国を扱っています。登戸神社の鳥居周辺の海岸で、女性や子供も含め潮干狩りをしている情景です。広重とは違って、富士塚があった登戸神社の鳥居を富士を本尊とする鳥居に代用し、近景に富士の御利益(豊かな収穫)世界を展開させています。北斎作品は、富士(講)信仰を強く意識し、それ故、庶民の姿は、日常性よりは、平等性(均しく収穫する姿)を体現する道具として描かれていると解すべきでしょう。

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