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10 東都目黒夕日か岡

Fuji_10 『江戸名所図会』(3-p106)によれば、夕日の岡は、「明王院の後ろの方、西に向かへる岡をいへり。古へは楓樹数株(ふうじゅすちゅう)梢を交へ、晩秋の頃は紅葉(もみじ)夕日に映じ、奇観たりしとなり。されどいまは楓樹少なく、ただ名のみを存せり。」とあります。夕日に映った紅葉の名所であり、西を向く岡なので、富士の景観を楽しめる場所であることが判ります。本作品は、江戸百「目黒太鼓橋夕日の岡」と比べると、その情景がよく理解できます。すなわち、「目黒太鼓橋夕日の岡」は、太鼓橋を目黒川の上流方向から東方向を概観するもので、右隅に屋根が見える家がしるこ餅の正月屋です(『江戸名所図会』3-p112、p113参照)。これに対して、本作品は、夕日の岡から目黒川を横切って西方向を概観する構図において、富士を眺望しています。富士の麓の手前の森辺りが目黒不動尊のある場所です。本作品に紅葉が描かれているのも、かつて紅葉の名所であった記憶を元にしています。このように、本作品と江戸百とが季節柄や視点を棲み分けていることが判ります。


 江戸百には、目黒に関し、「目黒千代か池」、「目黒爺々が茶屋」、「目黒新富士」、「目黒太鼓橋夕日の岡」、「目黒元不二」等の作品があり、後ろの4作品は、目黒不動尊の御開帳を制作動機としていると考えられています。本作品も、この4作品と係わって、棲み分けされながら制作されたことが想像されます。また、広重『絵本江戸土産』では、目黒方面の作品を第3編で一度採り上げているのにもかかわらず、再度第7編でいくつかの作品を掲載しています。これは、『絵本江戸土産』第7編と江戸百および『冨士三十六景』との制作準備が重なったために生じた混乱か、もしくは、第7編制作のために手抜きしたのではないかと推測しています。


 『不二三十六景』には、「東都目黒千代が崎」という作品があります。これは、『絵本江戸土産』第3編「千代ヶ崎風景」と制作時期が同じ頃と考えられることから、両作品には深い関連性があるはずです。夕日の岡から続く丘陵地からの富士の眺めです。紅葉の風景という点では、共通しています。


Hokusai22 ところで、北斎『冨嶽三十六景』「下目黒」も、やはり、目黒台地から西方に富士を眺める作品の1つです。千住とならんで、目黒は富士講の中心地ですから、北斎が富士の作品を残すのは当然です。丘陵地に展開する畑地の向こうに小さく富士を覗かせる構図です。富士を丘、畑、家の屋根の1つとでも見まごう程の扱いです。富士を開削の神と考えれば、近景に広がる、この畑地風景こそ富士世界です。富士講中興の祖・食行身禄を念頭に置けば、食を支える畑地風景として、やはり、富士の御利益世界と考えることができます。単純な風景と見ては、北斎作品の意味は判らないでしょう。

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