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1 東都一石ばし

 本作品1~14番目までを便宜的に第1部として、解説を加えていきます。制作に関し、『名所江戸百景』との重複・棲み分けが予期される部分です。


Fuji_1 「一石ばし」は、『江戸名所図会』(1-p65)によれば、「この橋の南北に、後藤氏両家(金座後藤庄三郎、呉服所後藤縫殿助)の宅あるゆゑに、その昔、五斗五斗という秀句にて、俗に一石橋と号けしとなり」とあります。また、この橋上から、日本橋・江戸橋・呉服橋・銭瓶橋・道三橋・常盤橋・鍛冶橋を望むことができ、一石橋を加えて八橋と言うともあります。


 本作品の制作経緯を考えてみると、まず、江戸百「八つ見のはし」が、安政地震によって崩れた一石橋ないしは道三橋の修復が完了したことを受けて、『江戸名所図会』の図版(1-p66、p67)を下敷きにし、広重『絵本江戸土産』第1編を経由して制作されたと推測されます。本作品は、明らかにその「八つ見のはし」をモデルとしていることが判ります。「八つ見のはし」の季節は初夏と推測されるのに対して、本作品では柳がさらに繁っていて、富士に雪もなく、盛夏と想定されます。さらに、絵師の視点を空中に上げて、御曲輪内江戸城、そして富士を俯瞰する構図に変わっています。ただし、日傘を差して橋を渡る様、船が進む様、日本橋川で漁をする様などは共通です。


 本作品の、富士の手前、おそらく大名小路と思われる所に小さく火の見櫓が描かれています。これは、広重生家の八代洲河岸の定火消屋敷のものと思われます。本作品が、最初の1枚として描かれた理由は、一石橋の俗称八つ見橋の八と末広がりの富士とを重ねて、縁起の良い富士見の名所からシリーズ制作を始めようとした動機が透けて見えてきます。くわえて、定火消同心であった広重の思い出の地を、それとなく忍ばせようとの思いがあったことも否定できないでしょう。広重が武家出身ではなく、町人出身ならば、一石橋ではなくて、日本橋から始めた可能性があるように思います。


 その日本橋に関しては、北斎『冨嶽三十六景』「江戸日本橋」があることを指摘しておきます。

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