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神風(かむかぜ)の伊勢

Hiroshige44 十辺舎一九『東海道中膝栗毛』5編下は、「神かぜや伊勢と都のわかれ道なる、追分の建場より、左のかたの町をはなれて、野道をたどり行くほどに…」で始まります。東海道四日市の宿場まで旅してきた「弥次・北八」コンビが、いよいよ日永村の追分で東海道を離れ、伊勢参宮道に足を進める場面です。二人の旅の仔細はここでは触れませんが(岩波文庫『東海道中膝栗毛(下)』p42以下参照)、注意を要するのは、伊勢が神風の国であるという認識です。このことは、『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条において、天照大神の祭祀を倭姫命に託した一節、「是神風伊勢国則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也。欲居是国。」にも記されています。


 上述のことを頭に止めおきながら、広重の保永堂版東海道五十三次『四日市』を見ると二人の旅人が強風に弄ばれていて、これは神風吹く伊勢の地を象徴する情景を描く意図であるということがよく判ります。つまり、風は単に自然現象という意味を越えて、四日市と深く結びついた文化的歴史的事跡を表すものとして選択されているのです。このような分析を応用すると、おもしろい結果に至る例を次に紹介します。それが、広重・保永堂版東海道五十三次『庄野』の「白雨」です。


Hiroshige46 「白雨」というのは、急に降り始めた強い雨、すなわち夕立のことで、本作品からはおそらく雷鳴をも伴った激しい豪雨ではないかと想像されます。重要なことは、これがただ雨の様子を描いたものではなくて、庄野を象徴する文化的歴史的事跡と関連するという視点です。広重が作品制作の基礎資料にしたと考えられる、秋里籬島『東海道名所図会』を参照すると、当時、庄野は日本武尊の陵・能褒野(のぼの)の地であると考えられていました。同図会は、『古事記』を引用しながら、「白鳥塚」など日本武尊ゆかりの史跡を幾つか紹介しています(ぺりかん社『新訂東海道名所図会(上)』p313以下参照)。ところで、日本武尊は熊襲、出雲、東国制圧の英雄ではありますが、一方で、東征を成功に導いた「草薙の剣」が天武天皇に祟りするなど祟の神(鬼)とも考えられていました。この事跡が判れば、本作品の白雨は、旅人が激しい雨に「祟られた」情景であって、それは庄野が日本武尊の絶命の地であるという認識に支えられていることが読み解けてきます。


 その他にも、広重・保永堂版東海道五十三次では、『大磯』の雨、『三島』の朝霧、『蒲原』の雪、『掛川』の風、『亀山』の雪、『土山』の雨など、作品における天気の変化は、情緒として選ばれただけではなくて、各宿場を特徴づける文化的歴史的事跡を物語らせるために設定されていると理解されてきます。なお、広重の晩年の大作『名所江戸百景』においても、雨を描いた作品には特定の意図が隠されているように思われます。

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