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後半の1枚目:冨士三十六景「相模七里か浜」

 『冨士三十六景』は、広重の死後に刊行された富士を画題とする竪大判の浮世絵シリーズです。北斎『冨嶽三十六景』を意識した作品体系であることは間違いないでしょう。目録の改印は安政6(1859)年6月になっているので、広重の死亡した安政5年9月6日から起算すると、約9ヶ月後、しかも、各36枚の作品改印の安政5年4月から起算すると、約1年2ヶ月以上経っての版行であったことが判ります。おそらく、『名所江戸百景』の完成が遅れたことや万延元(1860)年が富士出現の庚申縁年に当たっているという富士信仰上の(販売)事情が左右してのことと推測されます。

Fuji19_2 さて、ここでも前回ブログと同様、『冨士三十六景』の各作品解説をすることが目的ではありません。版元名と絵師の意匠が入っている作品が、シリーズ中に挟み込まれている事例の一つとして採り上げています。タイトルに挙げた「相模七里か浜」では、七里ヶ浜の日常景として、海岸線を江ノ島方向に歩く旅人とそれに群がる子供達に目が行きます。また、揃いの着物を着て茶屋で一休みする女達の姿も見えます。いずれも、江ノ島参詣の情景と理解できます。注目すべきは、茶屋に架かる暖簾に、「日本はし」、「魚かし」の他に、「蔦吉」と「ヒとロ」の意匠などが書かれている点です。言うまでもなく、「蔦吉」は版元蔦屋吉蔵、「ヒとロ」の意匠は絵師広重をそれぞれ示しています。とすると、本作品が制作サイドの観点からは、シリーズを区切る最初の1枚目であるという可能性が出てきます。

 目録の順番によれば、本作品はちょうど19枚目に当たります。つまり、本作品の前作品「さがみ川」が18枚目で、まさに36枚シリーズの前半部分が終わったことを意味します。言い換えれば、本作品は後半部分の最初の1枚目に相当するということです。つまり、シリーズ中に挿入された「版元名と絵師の意匠などを入れた作品」は、制作サイドの進行に関する何らかのサインと見ることができるということです。これがいつも妥当するとは限りませんが、一つの重要な指標と見ることはできるのではないでしょうか。

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