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「庄野」 歌川国芳 伊場屋仙三郎

(佐々木四郎高綱)

46_new「此驛の東に植野村といふ所あり。名馬生唼(いけずき)の出所なり。昔 此所の長者 野登の観音の示現によって此馬を得て 右大将頼朝卿へ捧げけり。その後 佐々木四郎高綱へたまハりて 夫より宇治川の先陣をぞなしたりけり。」


 上部の詞書きを読めば、『東海道名所図会 巻之二』からの引用によって、宇治川の先陣争いにおいて活躍した佐々木高綱の名馬・生唼が、庄野の植野村の産であることが判ります。そして、その文章を受けて、下部では、短冊に書かれる「佐々木四郎高綱」が先陣を切っている図柄となっているように見えます。

 さて、「なっているように」と持って回った言い方をしたのは、下部の絵だけを見れば、『東海道名所図会 巻之一』にある「唐崎社 一ツ松」とそれに続く「明智左馬助光俊の(琵琶湖)湖水渡り」伝説を描いていると見る方が自然だからです。湖水渡りの図版には、次のような文章が書き入れられています。

 すなわち、「明智左馬助光俊は 山崎合戦敗れて坂本城へ落ちゆく時 大津にて羽柴方堀久太郎秀政に囲まれ 詮方なく名高き駿馬に乗りければ湖水へざんぶと乗りこみ 狩野永徳が書きし雲竜の陣羽織に三ツ山の兜を着し 威風凛々として湖上をわたり 唐崎の松の汀に着きしは 古今の雄将の項王の鳥江をわたりしおもかげにも比せんと 敵味方これを見て賞嘆せずということなし。」と。つまりは、佐々木高綱と梶原景季(かげすえ)との宇治川の先陣争いを描いていると見せかけて、実は、『太閤記』において重要な合戦であった山崎合戦を題材に選んでいるのです。もちろん、これは、幕府の『太閤記』規制と庶民欲求とのギリギリでの摺合わせ結果です。天保の改革から程なく制作されている『東海道五十三對』には、すでに紹介した美人画隠しの他に、このような『太閤記』隠しの技が使われているのです。

 このアイデアは、実は『東海道名所図会 巻之一』自体に示されていて、上記文章の後には、次の言葉が続きます。すなわち、「惣じて海河をわたるは 実は馬上にあらず。その騎人(のりて)手綱鞍鐙(あぶみ)に取り付き歩行立にておよぎわたるなり。昔の佐々木 梶原もこれなり。馬上にてわたれば 馬居すくみて動かず これ馬術の習いなりとぞ。」とあります。

 なお、作品中、シルエットで描かれる遠景の松は、「唐崎の松」で、ここが宇治川ではなくて、琵琶湖であることが確認されます。ちなみに、『近江源氏先陣館』では、佐々木高綱は真田幸村に擬らえられています(『カブキ101物語』42頁参照)。

*『東海道名所図会 巻之二』の「伊勢・庄野」の項では、名馬・生唼の説明は僅かで、圧倒的に「白鳥塚」に解説が割かれています。その点からすれば、保永堂版東海道「庄野 白雨」は、その「白鳥塚」を雨の後ろに隠していると見るべきでしょう。つまり、「白鳥塚」に祀られる、日本武尊が降らせた白雨に旅人は祟られたと理解できるということです。

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