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「阪の下」 歌川広重 遠州屋又兵衛

49_new 「すゝか山鈴鹿の神社の由来

昔 天智天皇の皇弟皇子 大友の乱をさけ 此すゞか山にわけ入給ふに 柴の庵に壹人の翁あり。皇弟こゝに宿し給ふ。翁つくづくと見奉り 君ハ王位龍顔顕れまします。われにひとりの姫あり。君に相ならふて相貴(たつと)しとて 皇弟に奉る。則最愛あつて 我ハ浄見原親王也とて しばらく此家に忍ひ給ふ。翁 誠心を尽し 位奉り後 大友を亡し 位に即(つき)給ふ。天武天皇是也。鈴鹿の社ハ 此翁を祭ると云。」


 『東海道名所図会 巻之二』に「鈴鹿社」の一図と「鈴鹿神社」の項がありますが、そこにある鈴鹿神社の由来の文章が抜粋されて、上の詞書きになっています。補足するならば、同図会には「天智天皇御位を皇弟浄見原親王に禅らせたまう。しかるに皇子大友 軍を催して浄見原宮を襲いたまう」とあります。また、「その後皇弟 美濃国に入りたまい 白鳳元年東国の兵を起こし 大友皇子を滅ぼし天位に即きたまう」ともあります。

 広重の作品は、皇弟浄見原親王(大海人皇子)と鈴鹿神社の明神・翁の娘とを当世風の風俗で描き、外には、山仕事から帰ってくる翁を配しました。鈴鹿神社の由来に託けた、美人画隠しのような気がします。山奥深い背景の表現は、さすがに広重です…。

*保永堂版東海道「坂之下」は『東海道名所図会 巻之二』に基づいて「筆捨山」を題材にしています。山奥の風景を主体にしているという点では、『東海道五十三對』と共通しています。

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