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「関」 歌川広重 海老屋林之助

48_new 「関の地藏尊再興のとき 一休和尚に開眼を乞(こひ)けれバ犢鼻褌(ふんどし)をときて 地藏の首にまとひし事は 世に傳えて知るところなり。高須の遊君地獄といふ女 一休を尊信して信解を請る。其始連哥問答のことハ 事繁けれバ こゝに誌さず。その面影(かたち)を圖するのミ。」


 『東海道名所図会 巻之二』に「関 地蔵院」の一図と「九関山宝蔵寺地蔵院」の一項があります。上の詞書きは、同図会に引用される『一休噺』からの抜粋です。犢鼻褌を地蔵の襟にかける噺の前に、開眼を頼まれた一休が、地蔵に向かって、「釈迦はすぎ弥勒はいまだいでぬ間のかゝるうき世に目あかしめ地蔵」と詠んで、小便をかけて通り過ぎた噺が書かれています。見かけ豪華な開眼供養よりも、名僧の供養の方がいかに重要かという落ちですが、犢鼻褌噺や小便噺はさすがに広重も絵にし難く(国芳なら別ですが)、一休と堺の遊女地獄太夫との交流を画題に選びました。これも、『一休噺』に託けた美人画隠しの可能性があります。

 地獄太夫は、室町時代の遊女で、現世の不幸は前世の戒行が拙いゆえであるとして、自らを地獄とよび、地獄変相の図を描いた衣を着て、心に仏名を唱え、口には風流の歌を唄ったと言われています。一休が堺に赴いたとき、「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、太夫は「生き来る人の落ちざらめやも」と返し、これが両人の師弟関係の初めとなりました。「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 飢えたる犬の腹をこやせよ」とは、太夫の辞世の句。

 詞書きに「その面影を圖するのミ」とあって、絵から連歌問答などを読み解かなければなりませんが、有名な狂歌「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」は、一休が太夫に贈ったものとする説もあり、また、竹の先に取りつけた髑髏(しゃれこうべ)は、一休が、元日の朝、家々の門口にさし入れた噺を基にし、それゆえ、広重も門松の正月風景としています。袈裟を付けた太夫の着物の柄は、閻魔大王と釜茹での場で、太夫の背後に、払子を持った禿が隠れていますが、これは遊女図の典型です。 

*保永堂版東海道「關」は「本陣早立」で、『東海道名所図会 巻之二』および『伊勢参宮名所図会』の「坂之下」本陣をスケールアップした可能性があります。

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