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「あら井」 歌川三代豊国 小嶋屋重兵衛

32_new 「李花集云(りかしゅうにいわく)

延元四年春の頃 遠江国井伊城(ゐいき)濱名の橋かすミ渡り 橋本の松原はまの浪かけて はるばると見わたし あしたゆうべの気色おもしろくおぼえ侍りければ
夕暮はみなともそことしらすげの いり海かけてかすむ松原 宗良親王」


 やはり、『東海道名所図会 巻之三』の「遠江 荒井」から、宗良(むねなが)親王の歌を引用しています。宗良親王は、後醍醐天皇の皇子、天台座主で、同歌は私家集である『李花集』にあって、延元4(1339)年頃のものとして同図会に紹介されています。三代豊国の絵は、同図会の図版「遠州 濱名橋」を資料にし、当時はすでに存在しなかった「濱名橋」から浜名湖の風景を望みつつ、旅日記を書く美人を配しました。もちろん、「宗良親王」の歌の情景を意識してのことです。

 「濱名橋」は『東海道名所図会』によれば、貞観4(862)年に修造され、20余年を経てすでに破壊されたとあります。このような古い橋を題材に選んだのは、歌枕の地であった懐古性に加えて、浜名湖の「今切」による地形上の変化が劇的で、かつ話題性があったことが裏読みできます。同図会には、「濱名川」は「今切なりてより廃す」とあります。

*保永堂版東海道「荒井 渡舟ノ圖」に、上で述べたような、かっての歌枕の地にあった「濱名橋」の歴史を重ねると、広重の呑気な船旅風景にも深い味わいが生まれるのではないでしょか。かっての歴史を知れば、この後の保永堂版東海道「舞坂 今切真景」の理解にも役立ちます。

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