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「四日市」 歌川三代豊国 小嶋屋重兵衛

44_new 「那古海蜃楼(なこのうみかひやぐら)

此浦より春夏の間 蜃楼海上に立つ。諺にいはく 伊勢太神宮(いせだいじんぐう)尾張の熱田宮(あつたのミや)へ神幸(しんこう)ありといふ。行幸(ぎょうこう)旌蓋(せいかい)前後にあり。また諸侯行列の躰(てい) またハ樓臺(ろうたい)宮殿のかたち鮮にて 時に漁人(ぎょじん)見ることあり。たちまち須臾(しばらく)のあいだに消えぎえとなる。按るに 潮水(うしお)の気陽精に乗じてたち昇るなり。陽炎(かげろう)の類ひにやあらんとなり。」


 上部の詞書きは、『東海道名所図会 巻之二』からの転載です。四日市の海面を「那古浦」と呼び、そこに産する蛤(はまぐり)の気から楼閣などの陽炎が生まれると考えられていたので、「蜃気楼」という言葉を使います。四日市の北の桑名が蛤で有名なこととも関連があるでしょう。

 下部の作品は、洗い髪姿の海女で、これも当然美人画を描こうという魂胆を隠した作品と思われます。海女図は、歌麿に先例があり、美人画の幕府規制を逃れる常套手段です。美人画の名手、三代豊国も同様の手法を踏襲したということです。その背後に、海上に現れた蜃気楼が描かれているのは、『東海道名所図会』から切り取られたものです。

*保永堂版東海道「四日市」が副題を敢えて「三重川」としているのは、三重川は四日市の宿場に流れ込み、『東海道名所図会』が記すように、「この橋上より那古海鮮やかに見えわたる」ことがその理由なのです。つまり、広重の保永堂版東海道「四日市」の背景方向には、同図会の「勢州四日市 那古浦 蜃楼」の図版が前提とされていると見るべきなのです。そう考えれば、風によって旅人の笠が飛ばされた単なる滑稽図ではなくて、吹き渡る(神)風によって、蜃気楼という奇観を想像させる作品に違いないと思われます。

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