« 「興津」 歌川広重 遠州屋又兵衛 | トップページ | 「蒲原」 歌川国芳 遠州屋又兵衛 »

「由井」 歌川国芳 海老屋林之助

17_new 「薩埵山東の麓西倉沢の茶店にて栄螺鮑を料理て價(あきな)ふなり。この茶店富士を見わたして三保の松原手にとるごとく道中無双のけしき。此ほとりの賤(しづ)の女 出汐(でしほ)をくミ あるハ鮑を拾ふてなりハひとす。」


 上の詞書きは、『東海道名所図会 巻之四』「駿河 興津」の終わりの方にある、「薩埵嶺」(さつたとうげ)および「名産栄螺鮑」の文章に拠っています。同図会には、「薩埵山東麓西倉沢 茶店」の図版があって、これを見ると「この所 冨士山鮮やかに見えて 東海道第一の風景なるべし」との評がよく理解できます。同図版には、塩を焼く「塩かま」が描かれていて、女が「出汐をくミ」の意味がそのためであることが判ります。

 既述したように、この地が富士の名所であり、かつ三保の松原を間近に見ることができることを考えると、羽衣伝説は、富士の天女(鶴)が松に降臨する話と見えてきます。

 さて、国芳の絵は、網の手入れをする女性を配する作品で、栄螺鮑の名産に掛けて、浜の女性を描いたことはもちろん、やはり、美人画を制作しようとの意識が見え隠れしてきます。網を通して富士の山容を捉えたこの構図は、北斎の作品にも見られるものですが、手前の女性の美しさを富士に対峙させている点で国芳の創意が感じられます。

*保永堂版東海道「由井 薩埵嶺」は、薩埵嶺の西側からの眺望を描く、『東海道名所図会』の図版を参考にしています。同図会には、「中古地蔵薩埵の像 この浜より漁夫の網にかヽりて上がりしより 薩埵山という」とあり、国貞の美人東海道が六部の女性を描いているのは、この繋がりと推測するのが自然でしょう。

|

« 「興津」 歌川広重 遠州屋又兵衛 | トップページ | 「蒲原」 歌川国芳 遠州屋又兵衛 »

東海道五十三次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/58451628

この記事へのトラックバック一覧です: 「由井」 歌川国芳 海老屋林之助:

« 「興津」 歌川広重 遠州屋又兵衛 | トップページ | 「蒲原」 歌川国芳 遠州屋又兵衛 »