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「小田原」 歌川国芳 遠州屋又兵衛

10_new 「小田原の驛

前右兵衛佐源頼朝は 永暦元年より伊豆の國に配流と成 十四年の春秋を送り給ひけるうち伊東入道の娘に馴そめ 人しれずふかき中とそなりける。此事入道の耳ニ入りし給ひ奉るべきを 祐清か忠義ニよつて 北條か館ニ入 御頼ありて終ニ時政か婦女と竊(ひそか)に相馴合ひける。是なん後ニ御臺所と仰かれ給ひ 頼朝公没後尼将軍と上れしハ 此姫君の事なりける。」

 平治元(1160)年12月9日、源頼朝13歳は父義朝に従い平治の乱に加わったものの、平家に破れ、連座して死刑に処せられるところを、幼い命を救おうとの嘆願によって、永暦元(1160)年、14歳の時、伊豆に流されることになりました。その伊豆配流中に、北条時政の娘政子に出会い、詞書きにあるようなエピソードとなります。なお、詞書きにある「祐清」は、伊東祐清のことで、頼朝の乳母である比企尼の三女を妻としており、伊豆の流人であった頼朝と親交があった人物です。

 源頼朝と北條政子との出会いをその内容とする詞書きは、小田原だからというよりは、伊豆に因んでということでしょう。また、『東海道名所図会』とも直接は関係がなさそうです。『東海道五十三對』の前掲「箱根」は曾我五郎、後掲「大磯」は曾我十郎を画題としているので、時代設定をそれに合わせたと考えたほうが自然です。

 国芳の絵は、頼朝を前髪立ちの若衆姿に、政子を島田髷に振り袖姿の美人に描いていますが、これはもちろん、当世風を旨とする浮世絵の常套手段です。雪景色は、思いの深さを表す手段と思われます。 

*保永堂版東海道「小田原 酒匂川」は、酒匂川の川渡りを画題にしています。『東海道名所図会』には、これに対応する図版はありません。

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