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「保土ヶ谷」 歌川国芳 海老屋林之助

(由良兵庫 女房みなと 篠塚八郎)

05_new「足利基氏 竹沢右京亮とはかりて義興を討んことを談ず。また竹沢江戸遠江守をかたらひ 両人鎌倉を背きたるよしにて偽り 竟(つひ)に矢口の渡口にて義興を亡ぼす。篠塚八郎此よしを注進して由良兵庫に知らする。」


 上の詞書きは、『東海道名所図会 巻之六』の「矢口のわたし」の図版に記される詞書きと「新田明神祠」の文章からの引用ですが、その種本は、同図会も記載する『太平記』です。それによると、義興は、新田義貞の次男で、義貞の死後も、各地で合戦を繰り返しており、鎌倉管領足利基氏は何としても討ち果たそうと考えて、竹沢右京亮と江戸遠江守の両人に謀かることとしました。その策というのが、矢口の渡りの船の底を穿ち、差し込んだノミを抜いて船を沈めるというものです。六郷川(多摩川)での出来事なので、「神奈川」か「川崎」の方がよりご当地かと思われますが、ここ「保土ヶ谷」でこの話を展開しています。

 描かれるのは、義興の家臣篠塚八郎が同家臣由良兵庫に義興の最後を伝える場面です。『東海道名所図会』の図版は、江戸遠江守が本国に帰る際、矢口の渡りで義興の怨霊(落雷)に襲われる場面を描いているので、本作品とは異なっています。その理由は、国芳は、蘭学者平賀源内が福内鬼外(ふくうちきがい)の筆名で書いた浄瑠璃の代表作『神霊矢口渡』(『カブキ101物語』138頁参照)の方から画題を採っているからです。

 『神霊矢口渡』は、浄瑠璃義太夫節、時代物、五段で、明和7年(1770)1月、江戸・外記座(げきざ)で初演されました。『太平記』を原拠に、新田義貞の遺族の事跡を脚色し、中心は矢口の渡しに伝わる新田明神の縁起(怨霊鎮魂)を描いた四段目「頓兵衛内」(とんべえうち)で、歌舞伎でも多く上演されています。ただし、国芳は、その二段目切「新田館の段」から、篠塚八郎が、主君の最後を知らせるために戻り、そのまま喉に刀を突き立てて自刃して果てるところを描いています。篠塚八郎の死に様が誇張された型を示しているのは、人形浄瑠璃仕立て(人形振り)になっているからです。

*保永堂版東海道「保土ヶ谷」は、副題「新町橋」の袂に実在した二八蕎麦屋を描き、また伊勢参り一行の帰り姿があります。

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