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「桑名」 歌川国芳 小嶋屋重兵衛

43_new 「舩のり徳藏の傳

桑名屋徳藏ハ 無双の舩のり也。大晦日にハ舩を出さぬ法也けるニ ある年大晦日ニ舩を出し 沖合にて俄に大風大波立て 大山の如き大坊主舩の先へ出ける。徳藏少しも恐れずかちを取り行ニ くだんの化物 いかに徳藏こハくはなきやと尋るに 徳藏びくともせず 渡世より外にこハきものハなしと大おんニよハゝりけれハ かの化物此一言ニおそれけん 雪霜のごとくきえうせ 波風なく本の如くニ舩ハはしりしとなん。徳藏が大たんのほと これにてしるべし。」


 西日本に広く分布する「桑名屋徳藏」の伝説を紹介する国芳作品です。明和7(1770)年には、並木正三『桑名屋徳蔵入船物語』で歌舞伎狂言化されています。海原に現れる海坊主に少しもひるむことがなかった話が有名ですが、物の怪など異界の存在は、人が恐れなければ何ともないのが教訓です。既述した「草津」の「田原(俵)藤太」伝説でも、勢田の唐橋に横たわる龍女を平然と踏み越えたことが、龍女が藤太に百足退治を依頼するきっかけとなっています。

 なお、「桑名屋徳藏」伝説には、彼の妻が機織りの仕事の最中に、ネノホシ(北極星)は動くという事実を発見し、夫に伝え、この事実は船乗りたちの間に広まっていったという話もあります。この知識によって、北前船を安全に操作できるようになったことが、海坊主説話の背景にあるのかもしれません。作品で、「波に兔」模様の半纏を着ているのが「桑名屋徳藏」です。宿名の「桑名」から「桑名屋徳藏」と繋げた、国芳得意の地口作品です。

*『東海道名所図会 巻之二』の「桑名」の項には、「おぶけの焼蛤」、「桑名海上での白魚漁」、「桑名渡口」の3図版があります。国貞の美人東海道が前者を画題に選んだ経緯があるので、広重は残った図版の内、最後の図版を視点を変えて「七里渡口」として制作しています。同図会の文章が、「伊勢 桑名」の項で、「宮まで海上七里。 …勢尾都会の湊にして」と記し、つぎに「桑名城」を紹介している経緯が構想の動機になっているのでしょう。また、『伊勢参宮名所図会 巻之三』の「桑名渡口」も参考にしているかもしれません。

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