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「藤川」 歌川国芳 小嶋屋重兵衛

38_new 「藤川水右衛門ハ 私のしゆいをもつて同家中磯貝兵太夫をやミ討になし 長光の刀をうはひ立退(たちのき) 行方をかくす。然るニ兵太夫倅兵助 父の仇(あた)を討んと所々をたづぬる内 眼病を煩ひ ある時水右衛門ニ出合しに 眼病ゆゑやミやミとかへりうちになる。其弟 終ニ水右衛門を尋出し本望をたつす。藤川と云う名の因ニ依てこゝに出す。」


 国芳の作品には、地口を専らにして、宿駅の紹介にはなっていないものがあります。「藤川と云う名の因ニ依てこゝに出す」というのですから、本作品もその典型です。藤川水右衛門は、『花菖蒲文禄曾我』(はなあやめぶんろくそが)『霊験亀山鉾』『獨道中五十三駅』などの歌舞伎に登場する、極悪非道の敵役です。すでに『東海道五十三對』の「亀山」において、広重が題材に選んだ石井兄弟の仇討ち話として紹介しているものです。実説の敵赤堀水右衛門(源五右衛門の変名)を藤川水右衛門と改名して上演されています(亀山狂言)。

 上部の詞書きの背景に川越人足が描かれているのは、文政10(1827)年6月『河原崎座』の『獨道中五十三駅』で、七代目市川団十郎が輦台渡しで大井川を渡る場面があるからと思われ、本作品下部の絵も、同じく、その歌舞伎の流れです。いずれにしろ、東海道藤川の宿とは無関係な話です。

*保永堂版東海道「藤川」は「棒鼻ノ圖」で、八朔御馬進献の行列を描いています。『東海道名所図会』に適当な材料を見つけられなかったこともあるでしょうが、「藤川」→「岡崎藩領」→「徳川家康」→「8月1日の江戸入府」→「八朔御馬進献」という連想から制作されたと推測しています。

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