六十七 武佐 宮本無三四
版元:住吉屋政五郎 年代:嘉永5(1852)年6月 彫師:須川千之助 当該シリーズでは、松井田の「松井民次郎」、塩尻の「髙木虎之介」、醒ヶ井の「金井谷五郎」など、少なからず武芸者が登場していますが、その極めつけが「宮本無三四」です。国芳が浮世絵の画題とした武蔵は、巌流島で佐々木小次郎を破った実録の武者ではなく、講釈などから様々に脚色された架空の物語の中にある英雄像です。武蔵に関する国芳の作品では、大判三枚続『宮本武蔵、肥前にて背美鯨をさしとおす』図が秀逸で、野衾(のぶすま)退治の作品としては、大判『美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図』が先行しています。弟子の芳年の『美勇水滸伝』にも同様の作品があります。宿場名「武佐」と「無三四(武蔵)」が掛けられています。ところで、作品番号四十八は六十七の誤りですが、あまりにも違いすぎます?
作品の構図は、飛騨地方など山間の地で使われた籠渡を使って、蝙蝠に似せて描かれた野衾を退治しようとする武蔵です。二刀流の達人が片手しか使っていないところがミソです。標題の周りは、山間の渓谷のイメージです。
コマ絵の形は、深山に生える漢方でも最上薬の茸である霊芝です。英泉・広重版木曽街道の「武佐」は、日野川の舟橋の風景ですが、国芳のコマ絵は、その先にあった鏡山の情景ではないでしょうか。『木曽路名所図会』巻之一の図版「鏡山」と似ています。なお、同年10月の年月印の三代豊国の役者木曽街道は、「鏡山」と特定しています。
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