六十一 柏原 笠屋三勝
版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年8月 彫師:庄治 「笠屋三勝(さんかつ)」は江戸時代の情話の主人公で、モデルは女舞の太夫三勝とその客で大和国五条新町の茜屋半七。二人は元禄8(1695)年12月7日大坂千日寺の焼き場裏、通称サイタラ畑で心中しました。この事件は直後から浄瑠璃や歌舞伎に仕組まれ、享保元(1716)年豊竹座初演の浄瑠璃「笠屋三勝廿五年忌」、安永元(1772)年豊竹座初演の浄瑠璃「艶容女舞衣」(はですがたおんなまいぎぬ)などが有名です(『歌舞伎101物語』104頁参照)。文化5(1808)年刊行、曲亭馬琴の読本『三七全伝南柯夢』(さんしちぜんでんなんかのゆめ)6巻6冊もこの事件に取材しています。国芳の作品は、舞子三勝の姿と三勝を養う薬売り笠松平三が衣装道具を入れた葛籠を背負って世話をする様を描いています。宿場名「柏原」との関係は、三勝が半七を忘れられず、着物や葛籠などに半七の「柏紋」を付けていたことに因みます。標題は、三勝の舞「汐汲み」の道具で囲まれています。
コマ絵は、柏の葉の形です。英泉・広重版木曽街道の「柏原」は、宿場の有名な艾(もぐさ)の店・亀屋を描いています。国芳のコマ絵は、柏原の宿場が伊吹山の麓にあったことを受けて、伊吹山を描いたことは間違いないでしょう。英泉・広重版とは、視点が逆方向になります。
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