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四十四 馬籠 竹林定七

版元:住吉屋政五郎 年代:嘉永5(1852)年6月 彫師:大久


Kn44  「竹林定七」は、『仮名手本忠臣蔵』に登場する四十七士の一人。実録では、祖父は中国人で、浙江省杭州武林出身ということから、武林唯七(隆重)と名乗りました。討ち入りに際しては、炭小屋に隠れていた吉良上野介(義央)を間光興が初槍をつけ、唯七が斬り捨てての二番太刀と言われています。『義士銘々伝』の一つに、江戸に下って来る途中、馬子が「馬に乗れ」とからみ、それを断ると、腰抜け侍と見て調子に乗って「詫び証文を書け」と無理難題を言いますが、騒動になることを懸念して、おとなしくその証文を書いたという話があります。この逸話は、大高源五、神崎与五郎のものともされていますが、国芳は、武林唯七(竹林定七)を当てています。なお、作品番号四十五は、四十四の誤りです。

 当画中では、馬子は自分の背に乗れと言わんばかりで、対して、竹林定七は刀の柄に手をあて、今にも抜かんばかりの様子です。おそらく、「この馬子め!」→「馬籠」と内心怒っているのかもしれません。義士の中で定七(唯七)をこの絵の主人公にしたのは、赤穂藩馬廻(中小姓)の人物だったから馬に絡めたのでしょうか。標題の周りは、討ち入り装束とその道具で囲まれています。

Kom44  コマ絵の形は、討ち入り道具の一つ、「いろは札」です。各々義士がいろは47文字をそれぞれ一文字づつ付けていました。認識票の役割を果たしています。そこに描かれる風景ですが、英泉・広重版木曽街道の「馬籠」は「峠ヨリ遠望之図」とあり、馬籠峠より、馬籠宿、恵那山を眺望するイメージです。コマ絵はそれをより実景に近い構成に修正して描いています。

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