六十三 番場 歌之介 吃又平
版元:伊勢屋兼吉 年代:嘉永5(1852)年9月 宝暦5(1708)年、近松門左衛門原作大坂竹本座初演、人形浄瑠璃『傾城反魂香』(『カブキ101物語』170頁参照)を元として、歌舞伎では脇役「吃又平」を主人公とする「将監(しょうげん)閑居」(吃又)の場だけが演じられていて、国芳もこの場面を画題としています。「歌之介」は、狩野元信の弟子で、元信が仕える主君六角頼兼の姫銀杏の前が危難にあったことを土佐将監に知らせにくる役柄です。又平の弟弟子が使者に立ち姫を助けに行くのに対して、又平は追っ手があるかないかの見張り番をさせられることになります。国芳が描いているのは、まさに、この場面です。この後、画中にも見える手水鉢に描いた絵が反対側に抜けるという又平の奇跡があって、将監より土佐光起(みつおき)の名を貰い、大津絵師から土佐派の絵師に出世する有名な場面となります。しかし、その直前を描いたのは、宿場名「番場」と「見張り番をする場面」とを掛ける必要があったからでしょう。
なお、又平の名画の奇譚については、国芳は何度か画題としていて、『東海道五十三對 大津』においても広重との合作で描いています。標題の周りは、大津絵の主人公の持ち物、たとえば、藤娘の笠・藤、鬼の奉加帳・鉦、矢の根男の矢、槍持ち奴の槍、瓢箪鯰の瓢箪などで囲まれています。
コマ絵は、歌之介や吃又平など、土佐派絵師の話ですから、筆の意匠となっています。英泉・広重版木曽街道の「番場」は、宿場の出入り口を西側から描いています。国芳のコマ絵はそれとは異なって、街道脇に水の流れが見えています。これをヒントにすると、番場宿から摺針峠に向かう途中にある小摺針峠の泰平水ではないかと推測されます。
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