六十八 守山 達磨大師
版元:高田屋竹蔵 年代:嘉永5(1852)年7月 「達磨大師」は、5世紀後半から6世紀前半の人。インドから中国に来て、中国禅宗の開祖となりました。なお、その容貌に特徴があって、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれることが多いです。また、達磨が嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされる「面壁九年」の伝説が有名です。ここから、その修行によって、達磨の手足が腐ってしまったという逸話が起こりました。これが、玩具としてのだるまさんの由来で、縁起物として現在でも広く親しまれています。
宿場名「守山」から、山盛りの蕎麦を発想し、これに「面壁」=「麺へぎ(盆)」の修行で有名な「達磨大師」を当てるという、俗雅一体となった作品となっています。麺を食べる達磨のアイデア自体は、本作品の前に複数存在し、横大判『流行達磨遊び』や平木浮世絵美術館によると読本『風俗大雑書』などにその例があります。弟子の芳年の『月百姿』にも、典型的な達磨の姿を見ることができます。画中の二八蕎麦屋の背後に見えるのは大川で、ひょっとすると、柳橋から猪牙船に乗って吉原に出かけようというのかもしれませんし、店の手前に揃えられた下駄も、座禅を組む達磨には滑稽な履き物と映ります。標題は、画中の提灯の絵にも描かれる、達磨の払子(ほっす)で囲まれています。
コマ絵は、頭を右にして寝ている、玩具のだるまさんの意匠です。英泉・広重版木曽街道の「守山」は、三上山を望む守山宿の風景です。国芳のコマ絵は、順当ならば同じく三上山の方向を見るものでしょうが、全体図の達磨大師を勘案すると、視点を反対方向にとって遠く比叡山の方向を見るものではないでしょうか。
なお、中国禅宗の燈史を伝える『景徳傅燈録』(けいとくでんとうろく)によれば、達磨大師は釈迦から数えて28代目の弟子に当たるとされています。コマ絵の背後に敢えて「二八蕎麦屋」の看板が描かれていることや、そもそも達磨大師と蕎麦の画題それ自体がこの伝承を踏まえてのことだと理解されましょう。(2016年3月31日付記)
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