五十六 美江寺 紅葉狩
版元:加賀屋安兵衛 年代:嘉永5(1852)年7月 「紅葉狩」とくれば、鬼女紅葉の伝説や物語を想像します。しかし、ここに描かれる「紅葉狩」は作品を見ると「怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸」の三人が登場していることから、浄瑠璃・歌舞伎などの『源平布引滝』四段目の「紅葉山」であることが判ります(『カブキ101物語』90頁参照)。
平治の乱で平清盛に源義朝が破れ、さらに後白河院が鳥羽殿に押し込められた中、源氏ゆかりの多田蔵人行綱が平氏の動きを探るため館の奥に潜んだところ、その庭で、平次、又五郎、藤作の三人の仕丁が、紅葉を焚いて暖をとり酒盛りをしていました。そして、この三人が怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸という性格で笑いの一幕を演じます。通例、「三人仕丁」「三人生酔」(さんにんなまよい)と呼ばれます。国芳の当該シリーズの「目録」には、「三人生酔」と記されています。国芳は、おそらく、宿場名「美江寺」に掛けて、「三衛士」(みえじ)=「三人の仕丁」ということから、「三人仕丁」の場面を画題としたと考えられます。また、「美江寺」の「美」から美人仕立てともなったのでしょう。もともとは、『平家物語 巻之六』「紅葉」に高倉天皇とその仕丁の話として書かれているものです。標題の周りは、仕丁の烏帽子、竹箒、熊手、煙管等、紅葉狩の場面での道具で囲まれています。
紅葉に重ねて描かれるコマ絵の形は、焚いた紅葉で酒を燗することから、その銚子でしょうか。全体図の左隅に徳利があります。英泉・広重版木曽街道の「みゑじ」は、宿場西の犀川川岸の低地の風光を描いていますが、コマ絵は、輪中堤上を歩む旅人の情景ではないでしょうか。そこから、川岸に下ると英泉・広重版の「みゑじ」の景色になるという理解です。『木曽路名所図会 巻之二』の図版「河渡川」の背景「糸貫川」(本田村)あるいは「呂久川(杭瀬川)」の対岸に、コマ絵に近い風景を見つけることができます。なお、前掲「河渡」のコマ絵の風景と似ていますが、古代東山道と条里跡が残った、この辺り一帯の共通景色だと理解されます。
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